研究員のひとりごと

東京自治研究センター研究員のブログ

奥多摩町前町長、大舘誉さんのお話しを伺いました。

 東京自治研究センターでは、自治体の地方創生総合戦略について首都圏(東京、神奈川、千葉、埼玉)のいくつかの自治体調査を実施しています。

 ところで、東京・奥多摩町中央政府から見れば『消滅の運命にある自治体』かも知れません。

 しかし、本当にそうなんでしょうか。

 まずは、現地をよく知る人のお話からおうかがいすることにしました。

 

 

■2016年6月30日(木)、奥多摩町役場・ロビーにて

■東京自治研究センター研究員:藤岡一昭

 

<大切なのは奥多摩町の「原点」とは何かということ>

藤岡研究員:本日はお忙しい中、お話をお伺いする機会を作っていただきありがとうございます。早速ですが、人口減少社会を迎え、増田レポートでは「地方消滅」という言葉が語られました。いずれ東京の人口も減る訳ですが、多摩地域の中でも西多摩各自治体、そして奥多摩町もすでに人口減少が続いています。

 一方政府は、2014年11月「まち・ひと・しごと創生法」を成立させ、都道府県や市町村は「地方版総合戦略」を策定することになりました。政府主導の「地方創生」は、地域を活性化させ、人口を増やす自治体政策に補助金や新型交付金を付けるというものですが、長い間、奥多摩町の行政に携わりご苦労されてきた立場から、このような動きをどのように見ていますか。

大舘前奥多摩町:私は3期つとめた町長を退任して12年経ちますが、これまでも現場ではいろいろ工夫し、苦労してきたと思います。奥多摩町は昭和30年4月に氷川町、古里村、小河内村が合併してできましたが、当時は1万5千人以上でしたが5千5百人を切っています。緑と水、山々などめぐまれた環境を大切にした観光事業や、最近では廃校を利用し外国人向け教室や各種の体験イベントなども計画され、現町長が推進しています。少子化対策と定住促進で乳幼児・保育園、小中学校までの医療費や保育料、給食費などの全額補助、通学費も高校生まで全額補助しています。そうした努力をして現在に至るのですが、やはり一番大切なことは、奥多摩町の原点だと思いますね。

藤岡研究員:原点といいますと。

大館前奥多摩町奥多摩町は1955年に町制となりましたが奥多摩という名称に原点があるように思います。奥多摩という名称が最初に使われたのは大正12年頃の「奥多摩保勝会」のようです。奥多摩保勝会は、のちに奥多摩地域を国立公園とする構想をもったようですが、これは昭和25年の秩父多摩国立公園というかたちで結実します。こうした中で暮らしを営む。例えば田山花袋文人達、川合玉堂などもしばしば来訪しています。明治35年春、この地を訪れた川合玉堂は「山の上のはなれ小むらの名を聞かんやがてわが世をここにへぬべく」と詠み、昭和20年疎開され白丸地区に1年住まれた後、御岳に転居され生涯を送られました。

 デジタル社会にはない人にとって大切な、そして豊かな暮らし方、生き方が奥多摩の原点のように思います。

奥多摩にしかないもの、森林資源、水源確保、地球環境>

藤岡研究員:戦後の高度成長はより多く、より早く、そしてたくさんのものを手に入れることが幸せだという、「成長」という一方向の価値観のように思います。しかし奥多摩で暮らすと、そうしたこと(経済的成長)より、もっと大切なものを感じるのでしょうか。

大舘前奥多摩町:デジタル社会を否定するつもりはありませんが、奥多摩町の賑わいは都心の賑わいとは違う意味だということです。奥多摩にしかないものを次の世代に残す、ということが根本で、奥多摩にしかないものを歴史の中から学ぶべきです。

藤岡研究員:かつて森林は環境保全や水源確保と同時に林業という大きな資源でしたね。

大舘前奥多摩町林業東京オリンピック(昭和39年)がすぎ、昭和42年をピークに供給量が減少します。それまでは、山の「木」に経済的な価値があり、山で働くことが成り立ちました。また、「木流し」と言って伐採した木材は川幅が狭く急流なため鳩ノ巣まで「1本流し」、古里、川井、沢井あたりで筏に汲んで木場まで流し運んでいました。そうやって大勢の人々の手で材木となっていったのです。

藤岡研究員東京オリンピックの昭和39年に木材輸入の完全自由化もされています。その後、山の「木」は材木としての商品としては需要が減り、一方ではコスト高ということになり林業が衰退していくことになったということですね。

大舘前奥多摩町:そうです。適度にまた計画的に切り出し、大切に扱ったことで、山の生態系を維持しながら江戸・東京という世界的な大都市の水源を確保してきました。「木」は建築資材ということだけではなく、それ以上に人間が生きていくうえでの絶対条件である水や酸素の源でもあるのです。そうした大切な価値とともに奥多摩の街づくりを考えていくということです。

藤岡研究員奥多摩の子どもたちは、そうしたことがくらしの中で学ぶことができて幸せですね。

大舘前奥多摩町:歴史や文化というものがくらしの中から縁遠くなると、むしろそれがほんとの衰退かも知れません。だからそうした意味を町の職員や町民が考えながら、大勢の人々が奥多摩に来てもらう施策を組み立てるということだと思います。

<人口減少の実態>

藤岡研究員:ところで、奥多摩町の人口は約60年間で1/3に減少しましたが、世帯数はそれほど減っていません。結局、世帯人数が減少した訳ですが、このことで行政サービスも含め地域の課題は大きく変わってきます。

        (2015奥多摩町勢要覧)

 

人口

世帯数

1世帯当たりの人数

1956年(昭和31年)

15,513

3,054

5.07人

1980年(昭和55年)

10,184

2,864

3.55人

2005年(平成17年)

7,096

3,018

2.35人

2015年(平成27年)

5,511

2,739

2.01人

   *2016年(平成26年)5月1日現在(2016年5月1日)

人口5,356人(前月比16人減)

世帯数2,700人(前月比8減)、1世帯当たり1.98人

 

大舘前奥多摩町:そうですね。かつては兄弟も多かったし三世代の家庭が普通でしたが、今は高齢者だけの世帯が増えています。そうなると地域のつながりがますます必要ですし、行政側もそうした変化を見てとる必要が出てきました。それから世帯数には、特別養護老人ホームの方も400世帯分程度含まれています。なので、1人世帯や空き家も多くなり始めています。

   *65歳以上の人口比率

     2010年(平成22年)…40.2% → 2015年(平成27年)…46.6%

 

藤岡研究員:子どもの動きをみると、小・中学生も減少していますが、高校段階では絶対数が急激に減ります。

 

2009年(平成21年)

2014年(平成26年)

小学生

192人

161人

中学生

120人

76人

 

大舘前奥多摩町:一番近くが青梅の高校です。それから、青梅農林高校が青梅総合高校に変わり、林科がなくなったことも影響がありました。規模が小さくても農林業の担い手づくりという、長期的な目標をもち続けていくべきです。需要がないからということで無くしていけば、新しいものも生まれなくなると思います。社会的な課題として考えるべきです。そのうえで、具体的な街の活性化策を考えるべきですね。

 

藤岡研究員:ありがとうございました。