研究員のひとりごと

東京自治研究センター研究員のブログ

富岡製糸場世界遺産登録、6月23日に思う

   6月21日(土)、カタールのドーハで開催中のユネスコ世界遺産委員会は「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界文化遺産登録を決定した。昨年の「富士山」に続く世界文化遺産登録で、産業施設としては初めてということだ。

 確かに世界遺産というお墨付きで、「富岡製糸場の歴史的な価値が国際的に認められた」という意義は大きい。

   しかしその歴史的な価値の意味については、国際的にも説明できる客観的な認識を次世代に継承していく責任がある。

 

 ところで翌日曜日のあるテレビ番組で、政治学者の姜尚中氏が集団的自衛権を巡る安倍内閣の危険な動向や若年層の右傾化などに触れ、「…最近の世相についてイデオロギーや政治的な対立というより、世代間の考え方の開きを感じる。この原因として、歴史の次世代への継承を怠ってきたという日本社会の問題があるのではないか…」といった主旨の話があった。

 政府が4月28日を主権回復の日として説明すると違和感なく受け入れたり、在日朝鮮人の人々を移民と思ったり、伊藤博文を暗殺した安重根をやくざかテロリストの殺人犯としか理解しなかったり…こうしたことが重なると、世代間の歴史認識も180度違う分裂国家になりかねない。

 

   話を戻して―、富岡製糸場明治政府の国策官営製糸場として1872年に操業を開始した。1868年の明治維新からわずか4年後である。紡績業・製糸業を中心とした日本の軽工業部門産業革命のさきがけともなった訳だが、この背景には開国後の植民地化を避け、欧米列強と対等な国力を持とうとする明治政府脱亜入欧政策が基軸に据えられていたことは言うまでもない。

   殖産興業にはじまり、徴兵令を公布し、近代的な軍隊を創設する富国強兵策のもとで、朝鮮半島や政治的に混乱する中国大陸への侵略を試みる。1894年日清戦争、10年後の1904年日露戦争と続き、いくつかの偶然も重なり軍事的に勝利を収める。それ以降のアジア外交は、都合よく交渉がまとまらなければ軍事力で解決するという手法の戦争政策が1945年まで続くことになる。

   世界遺産となる富岡製糸場は、こうした歴史の扉口にあった。このことを次世代にしっかり伝えていくことも、歴史遺産としての価値の意味に通じることなのではないだろうか。そしてむしろ、こうした歴史の流れは国際社会の方が、理解が早いかもしれない。残念だが。

 

 過去の歴史を次世代に継承する責任とともに、次世代に何を残すべきかも考えたい。

   このことについて、立教大学の内山節教授が6月22日の東京新聞朝刊のコラム「時代を読む」欄に、現代社会の劣化という切り口から提言している。概要を紹介する。

 「…ある自治体の5年ごとの基本計画の策定に関わった際、他の自治体の基本計画を見ると、どこも同じ内容になっていた。そこで5年計画を100年計画に変えてみる。しかし、100年後の社会の姿が分からないため何かをつくる計画は立てようがなく、逆に100年後に何を残す計画が重要であることに気がついた。社会がどんなに変わってもこれだけは残しておかなければいけない、という考え方が大切である。そうした時間の幅を持って今日の政治や経済を見ると、目先の利益ばかりで100年後に人々が平和を享受できるようにするにはどうしたらいいのか、といった発想はどこにもない。集団的自衛権の強行、100年後にも通用する憲法の役割を考えるのではなく解釈の変更だけで憲法を変えようとするやり方、成長戦略と称して原発の再稼働や輸出、武器輸出を進め、観光客を呼び込むためにカジノを建設し、法人税減税などを進めている。…」

 

 100年後何を残すべきか。難しい、そして困難なことかも知れない。

   しかし最近、一つ見つけたような気がする。それは5月21日に示された大飯原発運転差し止め訴訟の福井地裁判決である。この判決文は100年後に何を残すべきかという重たい課題に正面から立ち向かう、教科書的な意義があるように思う。

   判決文は、

「…国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に関わる安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るということにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない」

「…極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等を並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考える」

「…コストの問題に関連して国富の流失や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流失や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている」

「…(CO2削減といった)環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることははなはだしい筋違いである」とし、判決主文で「原子炉を運転してはならない」としている。

 

 100年後に何を残すべきか。なんと明解で分かりやすく、そして確信をもって伝え得る判決文ではないだろうか。

 

 このコラムを書いているのは6月23日である。

   いうまでもなく1945年6月23日は、沖縄地上戦が終結したその日である。ウチナーンチュがヤマトンチュウの捨て石になってすでに69年が過ぎた。この歴史も次世代にしっかり伝えるとともに、沖縄に残すべきは基地ではなく平和であることも次世代に約束しなければならないだろう。