研究員のひとりごと

東京自治研究センター研究員のブログ

奥多摩町前町長、大舘誉さんのお話しを伺いました。

 東京自治研究センターでは、自治体の地方創生総合戦略について首都圏(東京、神奈川、千葉、埼玉)のいくつかの自治体調査を実施しています。

 ところで、東京・奥多摩町中央政府から見れば『消滅の運命にある自治体』かも知れません。

 しかし、本当にそうなんでしょうか。

 まずは、現地をよく知る人のお話からおうかがいすることにしました。

 

 

■2016年6月30日(木)、奥多摩町役場・ロビーにて

■東京自治研究センター研究員:藤岡一昭

 

<大切なのは奥多摩町の「原点」とは何かということ>

藤岡研究員:本日はお忙しい中、お話をお伺いする機会を作っていただきありがとうございます。早速ですが、人口減少社会を迎え、増田レポートでは「地方消滅」という言葉が語られました。いずれ東京の人口も減る訳ですが、多摩地域の中でも西多摩各自治体、そして奥多摩町もすでに人口減少が続いています。

 一方政府は、2014年11月「まち・ひと・しごと創生法」を成立させ、都道府県や市町村は「地方版総合戦略」を策定することになりました。政府主導の「地方創生」は、地域を活性化させ、人口を増やす自治体政策に補助金や新型交付金を付けるというものですが、長い間、奥多摩町の行政に携わりご苦労されてきた立場から、このような動きをどのように見ていますか。

大舘前奥多摩町:私は3期つとめた町長を退任して12年経ちますが、これまでも現場ではいろいろ工夫し、苦労してきたと思います。奥多摩町は昭和30年4月に氷川町、古里村、小河内村が合併してできましたが、当時は1万5千人以上でしたが5千5百人を切っています。緑と水、山々などめぐまれた環境を大切にした観光事業や、最近では廃校を利用し外国人向け教室や各種の体験イベントなども計画され、現町長が推進しています。少子化対策と定住促進で乳幼児・保育園、小中学校までの医療費や保育料、給食費などの全額補助、通学費も高校生まで全額補助しています。そうした努力をして現在に至るのですが、やはり一番大切なことは、奥多摩町の原点だと思いますね。

藤岡研究員:原点といいますと。

大館前奥多摩町奥多摩町は1955年に町制となりましたが奥多摩という名称に原点があるように思います。奥多摩という名称が最初に使われたのは大正12年頃の「奥多摩保勝会」のようです。奥多摩保勝会は、のちに奥多摩地域を国立公園とする構想をもったようですが、これは昭和25年の秩父多摩国立公園というかたちで結実します。こうした中で暮らしを営む。例えば田山花袋文人達、川合玉堂などもしばしば来訪しています。明治35年春、この地を訪れた川合玉堂は「山の上のはなれ小むらの名を聞かんやがてわが世をここにへぬべく」と詠み、昭和20年疎開され白丸地区に1年住まれた後、御岳に転居され生涯を送られました。

 デジタル社会にはない人にとって大切な、そして豊かな暮らし方、生き方が奥多摩の原点のように思います。

奥多摩にしかないもの、森林資源、水源確保、地球環境>

藤岡研究員:戦後の高度成長はより多く、より早く、そしてたくさんのものを手に入れることが幸せだという、「成長」という一方向の価値観のように思います。しかし奥多摩で暮らすと、そうしたこと(経済的成長)より、もっと大切なものを感じるのでしょうか。

大舘前奥多摩町:デジタル社会を否定するつもりはありませんが、奥多摩町の賑わいは都心の賑わいとは違う意味だということです。奥多摩にしかないものを次の世代に残す、ということが根本で、奥多摩にしかないものを歴史の中から学ぶべきです。

藤岡研究員:かつて森林は環境保全や水源確保と同時に林業という大きな資源でしたね。

大舘前奥多摩町林業東京オリンピック(昭和39年)がすぎ、昭和42年をピークに供給量が減少します。それまでは、山の「木」に経済的な価値があり、山で働くことが成り立ちました。また、「木流し」と言って伐採した木材は川幅が狭く急流なため鳩ノ巣まで「1本流し」、古里、川井、沢井あたりで筏に汲んで木場まで流し運んでいました。そうやって大勢の人々の手で材木となっていったのです。

藤岡研究員東京オリンピックの昭和39年に木材輸入の完全自由化もされています。その後、山の「木」は材木としての商品としては需要が減り、一方ではコスト高ということになり林業が衰退していくことになったということですね。

大舘前奥多摩町:そうです。適度にまた計画的に切り出し、大切に扱ったことで、山の生態系を維持しながら江戸・東京という世界的な大都市の水源を確保してきました。「木」は建築資材ということだけではなく、それ以上に人間が生きていくうえでの絶対条件である水や酸素の源でもあるのです。そうした大切な価値とともに奥多摩の街づくりを考えていくということです。

藤岡研究員奥多摩の子どもたちは、そうしたことがくらしの中で学ぶことができて幸せですね。

大舘前奥多摩町:歴史や文化というものがくらしの中から縁遠くなると、むしろそれがほんとの衰退かも知れません。だからそうした意味を町の職員や町民が考えながら、大勢の人々が奥多摩に来てもらう施策を組み立てるということだと思います。

<人口減少の実態>

藤岡研究員:ところで、奥多摩町の人口は約60年間で1/3に減少しましたが、世帯数はそれほど減っていません。結局、世帯人数が減少した訳ですが、このことで行政サービスも含め地域の課題は大きく変わってきます。

        (2015奥多摩町勢要覧)

 

人口

世帯数

1世帯当たりの人数

1956年(昭和31年)

15,513

3,054

5.07人

1980年(昭和55年)

10,184

2,864

3.55人

2005年(平成17年)

7,096

3,018

2.35人

2015年(平成27年)

5,511

2,739

2.01人

   *2016年(平成26年)5月1日現在(2016年5月1日)

人口5,356人(前月比16人減)

世帯数2,700人(前月比8減)、1世帯当たり1.98人

 

大舘前奥多摩町:そうですね。かつては兄弟も多かったし三世代の家庭が普通でしたが、今は高齢者だけの世帯が増えています。そうなると地域のつながりがますます必要ですし、行政側もそうした変化を見てとる必要が出てきました。それから世帯数には、特別養護老人ホームの方も400世帯分程度含まれています。なので、1人世帯や空き家も多くなり始めています。

   *65歳以上の人口比率

     2010年(平成22年)…40.2% → 2015年(平成27年)…46.6%

 

藤岡研究員:子どもの動きをみると、小・中学生も減少していますが、高校段階では絶対数が急激に減ります。

 

2009年(平成21年)

2014年(平成26年)

小学生

192人

161人

中学生

120人

76人

 

大舘前奥多摩町:一番近くが青梅の高校です。それから、青梅農林高校が青梅総合高校に変わり、林科がなくなったことも影響がありました。規模が小さくても農林業の担い手づくりという、長期的な目標をもち続けていくべきです。需要がないからということで無くしていけば、新しいものも生まれなくなると思います。社会的な課題として考えるべきです。そのうえで、具体的な街の活性化策を考えるべきですね。

 

藤岡研究員:ありがとうございました。

ヘリコプターマネー

 このところ、「ヘリコプターマネ―」という言葉が経済誌や新聞などで語られている。日本経済新聞の「やさしい経済学」でも早稲田大学の若田部教授により連載された。

 もともとは、米国経済学者のミルトン・フリードマンが最初に使った「たとえ話」だが、ヘリコプターから貨幣をばらまき、市場経済のお金を増やしてデフレから脱却、停滞する経済に刺激を与えるという荒っぽい話である。

 具体的には、政府が国債を発行し中央銀行(日銀)が直接引き受け、政府は中央銀行が発行したお金で公共事業や現金給付をする方法が分かりやすい。政府と中央銀行が同じ立場で仕組めば難なくできることだが、間違いなく財政規律が政治の力で歪められることから、日本も含めた先進国は財政法で禁止されている。つまり禁じ手となっている。日本の財政法5条にも「すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない」とある。

 

 しかし、すでに日銀は「大胆な金融緩和」で毎年80兆円もの国債市中銀行から買い増している。直接政府から国債を引き受けている訳ではないが、日銀が確実に国債を買ってくれる訳で「ヘリコプターマネー」的な状態といってもおかしくない。

 

 さらに日銀もマイナス金利に踏み切り、日銀当座預金の銀行のお金は融資先を求め市場に流れるだろうというストーリーである。しかし、実際には資金需要が弱く、年率2%のインフレ目標も実現できていないのが実態である。

 

 いずれにしても、政府債務が1000兆円を超え、歴代政府によって財政規律は押しのけられてきた。万が一にも日本国債の信用が失われれば、国債価格の暴落とそれによる国債金利の上昇でパニックに陥ることを警戒するエコノミストも多い。

 

 そもそも日本社会は人口減少、高齢化の中で潜在成長率そのものが限りなくゼロに近づいているのである。金利を引き下げる(マイナスにする)金融緩和や市中に出回るお金をやたらに増やす「異次元の量的緩和」は、一時的な株高現象はあっても、人々が将来に希望が持てるような、落ち着いた経済社会を生み出すベクトルとは真逆にある。過度な競争とマネーゲームで格差が拡大し、若者は将来不安を増幅させ、高齢者は消費意識を縮小させることにしかならない。現実がこれを実証している。

 

 アベノミクスは失敗したというだけでなく、「経済成長」という衣を着て人々に痛みと不安を与えている。「強い日本を取り戻す」というスローガンと引き換えに、一方で「沖縄辺野古新基地建設強行」、「原発再稼働」、「集団的自衛権行使容認」など、民意を無視して強引に進める。これはまさに『三本の毒矢』である。

 

参議院選挙は終わったが、「ヘリコプターマネー」という言葉から、人々にとっての経済とはどうあるべきかを考えてみたい。

熊本地震から2か月 南阿蘇村の前田信一さんからのレポート

 

 4月14日から震度7地震が連続して発生し、5月19日には震度1以上の有感地震が1500回に達した熊本地震。長引く避難生活と余震の連続で、被災者の精神的なストレス障害、不眠やうつ病、不安に耐え切れない子ども達など、これからの支援のあり方が問われています。

 東京自治研究センターでは、熊本県阿蘇村の前田さん(元都庁職員)からの被災地レポートをお届けします。前田さんは都庁福祉保健局(旧民生局)時代の経験に踏まえ、南阿蘇の豊かな自然環境の中で子どもの居場所づくりや自立支援の拠点として「しんの里」づくりを進めている中で被災しました。

 現在、地震の後の豪雨などで立ち入り禁止区域などある厳しい生活環境の中で再建を目指しています。

     *     *     *     *     *

2016年4月熊本地震、そして集中豪雨

―子どもたちの支援を始めます―

2016年6月 前田信一

 

≪はじめに≫

 熊本地震は2016年4月14日21時26分の前震が発生し、16日1時25分に本震があり、現在も大きな地震発生の恐れがあり、収束していない状況です。今回の地震被害は、死亡49人、関連死疑い20人で住宅の被害が13万4875棟となっています。

 私は14日南阿蘇村にある就労継続支援A型事業所「すまいるれーく」の仕事が終わり、近くのウイナスという温泉に入っているときに前震がありました。風呂の水がポチャポチャゆれておかしいなと思って上がったら震度7地震ということが分かりました。特に大きな被害もないので事業所は、15日は開けました。

 東京での仕事があり、朝空港に行ったら欠航で次の便に乗れ、東京に着いてその日の夜中に本震の報道がされ、事業所近くの阿蘇大橋が崩落したとの報告が繰り返し流されていました。

仕事が終わり飛行機も飛ぶようになり、19日に熊本に戻りました。

事業所の近くは立ち入り禁止地区となり気がかりでしたが動けません。

 15名の利用者(精神的疾患6名、知的障

がい5名、身体障がい1名、高次機能障がい2名、難病1名)に当面休みという連絡をし、避難していました。

≪南阿蘇

 南阿蘇村は阿蘇山の南側に位置し、阿蘇5山と外輪山に挟まれた緑豊かな静かなところです。人口は11,458人(外国人45人)、世帯数は4,687世帯となっており、老人人口比率が30%を超え、高齢化の進展が顕著となっています。主要産業は農林業と観光です。阿蘇地域は県内でも観光訪問者数の多いところです。年間1,600万人以上の人々が訪れています。(南阿蘇鉄道沿線は年間10万人利用)

≪県民すべての人がPTSD心的外傷後ストレス障害)≫

 一週間がたち、事業所に立ち入ることができるようになり南阿蘇に行きました。村の家々が倒壊し、自動車が横倒しとなり、阿蘇大橋が崩落している状況と、事業所が傾き、内部は散乱している状況を見て唖然としました。この場で(阿蘇地域で)再開していくことは無理だと実感しました。

 余震はおさまることなく、現在まで1600回を超えています。学校や職場の方も活動を始めました。私の方は5月31日で震災のために離職となりました。

 震災直後避難していて仕事もなくなり、心の疲れで体調不良となりました。被災者のすべてが強いストレスを抱えていることになりました。大人も子どもも老若男女すべての人が心と体に変化がきていると思います。

 ≪子どもの支援をはじめます≫

 私自身も避難をしていて、それまでの日常が大きく変化して、余震を感じながら何もする気にならず日々を過ごしていました。フェイスブックにその気持ちを出した時に、「PTSDだよ」とコメントをもらい、自分は何をすべきか?何ができるのかを考えてしまいました。「そうだ、自分にできることをやろう」と決めて、南阿蘇村でWRRという馬牧場をやっている三浦さんに連絡を取り、会って話をして『ホースセラピー、遊び場、語り場、キャンプをやろう。南阿蘇村で!!』を決めました。その後も仲間を集め、会議を行い、『南阿蘇・馬とASOぼう隊』というNPO法人を目指し、子ども達が同世代と一緒に遊べる場づくりをしていき、居場所をつくり、遊びをとおしてストレスを発散し、安心感を与えられ、大人の見守りの中でリラックスできる場を目指したい。地域でくらす、保育園、小学校、中学校生を招待し、乗馬をしてもらい、馬とふれあい、遊んでもらいたいと思っています。

 ≪心のケアを≫

 子どもの心の問題は見過ごされる可能性が高いです。5月31日の熊本日日新聞によると、心のケアが必要な子どもたちが3600人いるそうです。南阿蘇地域でも小中学生が約106名いるそうです。(保育園、小・中学生は約1000人)

 心の傷を受けた子どもたち、被災したばかりのこの時期に適切な対処が、家庭、学校、地域で継続的に必要になっています。

 我慢して気持ちを出さない、出せない子どもたち、無理に笑顔を見せようとする子どもたち、時間がたってから心のダメージPTSD・心的外傷後のストレス障害につながらないように、南阿蘇村から7月23・24日オープンを目指して活動しています。

 皆様のご支援をよろしくお願いします。

 

  *   *   *   *

 

以上、前田さんからのレポートを原文のまま掲載しました。

 

 

戦後71年目の年の初めに、日本社会の在り方を考えるための第2弾は、沖縄代執行訴訟の翁長知事意見陳述です。

代執行訴訟 翁長知事陳述書全文(2015年12月2日)

【目次】

1 知事に立候補した経緯と公約

2 沖縄について  

(1)沖縄の歴史  

(2)沖縄の将来像

3 米軍基地について  

(1)基地の成り立ちと基地問題の原点

(2)普天間飛行場返還問題の原点

(3)「沖縄は基地で食べている」基地経済への誤解

(4)「沖縄は莫大(ばくだい)な予算をもらっている」沖縄振興予算への誤解  

(5)基地問題に対する政府の対応  

(6)県民世論

4 日米安全保障条約

5 前知事の突然の埋立承認

6 前知事の埋立承認に対する疑問-取消しの経緯  

(1)仲井眞前知事の埋立承認についての疑問  

(2)第三者委員会の設置と国との集中協議  

(3)承認取消へ  

(4)政府の対応

7 主張

(1)政府に対して

(2)国民、県民、世界の人々に対して

(3)アメリカに対して

 

【意見陳述全文】

1 知事に立候補した経緯と公約

 今年、日本は戦後70年の節目の年を迎えました。わが沖縄県も27年間の米軍統治時代を経て本土復帰を果たし、先人のたゆまぬ努力により、飛躍的な発展を遂げてまいりました。

 しかしながら沖縄県には、県民自らが持ってきたわけでもない米軍基地を挟んで「経済か」、「平和か」と常に厳しい二者択一を迫られ、苦渋の選択を強いられてきた悲しい歴史があります。

 保守の方々は「生活が大切だ。今は経済だ」と主張したのに対し、革新の方々は「命を金で売るのか、ウチナーンチュの誇りはどうするのか」と批判し、県民同士がいがみあっていたのです。政治家の一家に生まれ育った私は、小さい頃からそのような状況を肌で感じており、将来は県民の心をひとつにして、この沖縄の政治状況というものを打破できないだろうかと考えるようになりました。ですから私の持論は、沖縄では保守が革新の敵ではなく、革新が保守の敵でもない。敵は別のところにいるのではないかということです。

 平成24年、日米両政府から、普天間基地へのオスプレイ配備が発表されました。配備を強行しようとする政府に対し、平成25年1月、オスプレイの配備撤回と普天間飛行場の閉鎖・撤去、県内移設断念を求め、県内41市町村長と市町村議会議長、県民大会実行委員会代表者が上京し、政府に建白書を突きつけました。政治的な主義・主張の違いを乗り越え、オール沖縄で行った東京行動のような取組み、活動こそが、今、強く求められていると思っております。

 建白書を携えた東京行動から私が県知事へ立候補するまでの約2年の間に、普天間基地の県外移設を訴えて当選した県選出の与党国会議員が中央からの圧力により次々に翻意し、辺野古移設容認に転じました。さらに平成25年の年末には、安倍総理大臣との会談後、仲井眞知事が辺野古埋立申請を承認するに至るなど、県内移設に反対する足並みは大きく乱れました。しかしながら世論調査の結果を見ますと、普天間飛行場辺野古移設に対する県民の反対意見は、約8割と大変高い水準にあり、オール沖縄という機運、勢いは衰えるどころか、さらに高まっていました。

 これは、県民が沖縄の自己決定権や歴史を踏まえながら、県民のあるべき姿に少しずつ気づいてきたということだと思います。

 そのような中、海底ボーリング調査など移設作業を強行する政府の手法は、これまで安倍総理大臣や菅官房長官が繰り返し述べてきた「誠心誠意、県民の理解を得る」、「沖縄の負担軽減」といった言葉が、空虚なものであることを自ら証明したようなものでした。

 日本の安全保障は日本全体で負担すべきであり、これ以上の押し付けは沖縄にとって既に限界であることを政府に強く認識してもらいたいと考えています。

 私たちは、今一度心を一つにして、「オール沖縄」あるいは「イデオロギーよりはアイデンティティー」で結集して頑張っていかなければならない。

 沖縄が重大な岐路に立つ今、私の力が必要という声があるならば、その声に応えていくことこそ政治家の集大成であるとの結論を出し、那覇市長から沖縄県知事に立候補したものであります。

 沖縄県知事選挙にあたり、公約について以下を基本的な認識として訴えました。

 ○建白書で大同団結し、普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念、オスプレイ配備撤回を強く求める。そして、あらゆる手法を駆使して、辺野古に新基地はつくらせない

 ○日本の安全保障は日本国民全体で考えるべきものである

○米軍基地は、今や沖縄経済発展の最大の阻害要因である。基地建設とリンクしたかのような経済振興策は、将来に大きな禍根を残す

○沖縄21世紀ビジョンの平和で自然豊かな美ら島などの真の理念を実行する

 ○アジアのダイナミズムに乗って動き出した沖縄の経済をさらに発展させる  ○大いなる可能性を秘めた沖縄の「ソフトパワー」こそ、成長のエンジンである  ○新しい沖縄を拓き、沖縄らしい優しい社会を構築する  ○平和的な自治体外交で、アジアや世界の人々との交流を深める

2 沖縄について

 (1)沖縄の歴史

 沖縄には約500年に及ぶ琉球王国の時代がありました。その歴史の中で、万国津梁の精神、つまり、アジアの架け橋に、あるいは日本と中国、それから東南アジアの貿易の中心になるのだという精神をもって、何百年もやってまいりました。

 ベトナムの博物館には600年前に琉球人が訪れた記録が展示されていました。中国の福州市には、異国の地で亡くなった琉球の人々を埋葬している琉球人墓があり、今も地域の方が管理しております。また、琉球館という宿も残っております。それから、北京では国子監といいまして、中国の科挙の制度を乗り切ってきた最優秀な人材が集まるところに琉球学館というのがあり、そこで琉球のエリートがオブザーバーで勉強させてもらっておりました。このような形で、琉球王朝はアジアと交流を深めてまいりました。沖縄名産の泡盛は、タイのお米を使ってできています。タイとの間にも何百年にわたる交易と交流があるわけです。

 そういった中で1800年代、アメリカ合衆国のペリー提督が初めて日本の浦賀に来港したのが1853年です。実は、ペリー提督はその前後、5回沖縄に立ち寄り、85日間にわたり滞在しております。1854年には独立国として琉球アメリカ合衆国との間で琉米修好条約を結んでおります。このほか、オランダとフランスとの間でも条約を結んでおります。

 琉球はその25年後の1879年、日本国に併合されました。私たちはそのことを琉球処分と呼んでおります。併合後、沖縄の人々は沖縄の言葉であるウチナーグチの使用を禁止されました。日本語をしっかり使える一人前の日本人になりなさいということで、沖縄の人たちは皇民化教育もしっかり受けて、日本国に尽くしてまいりました。その先に待ち受けていたのが70年前の沖縄戦でした。「鉄の暴風」とも呼ばれる凄惨(せいさん)な地上戦が行われ、10万を超える沖縄県民を含め、20万を超える方々の命が失われるとともに、貴重な文化遺産等も破壊され、沖縄は焦土と化しました。

 このように沖縄は戦前、戦中と日本国にある意味で尽くしてまいりました。その結果どうなったか。サンフランシスコ講和条約で日本が独立するのと引き換えに、沖縄は米軍の施政権下に一方的に差し出され、約27年にわたる苦難の道を歩まされることになったわけであります。

 その間、沖縄県民は日本国憲法の適用もなく、また、日本国民でもアメリカ国民でもありませんでした。インドネシア沖で沖縄の漁船が拿捕(だほ)されたときには沖縄・琉球を表す三角の旗を掲げたのですが、その旗は何の役にも立ちませんでした。

 また当時は治外法権のような状況であり、犯罪を犯した米兵がそのまま帰国するというようなことも起こっていました。日本では当たり前の人権や自治権を獲得するため、当時の人々は、米軍との間で自治権獲得闘争と呼ばれる血を流すような努力をしてきたのです。

 ベトナム戦争のときには、沖縄から毎日B52が爆撃のために飛び立ちました。その間、日本は自分の力で日本の平和を維持したかのごとく、高度経済成長を謳歌(おうか)していたのです。

 (2)沖縄の将来像

 私の知事としての県政運営方針は「沖縄21世紀ビジョン基本計画」を着実に1つ1つ進めていくことが基本となると思っております。

 この計画の特徴は、「強くしなやかな自立型経済の構築」と「沖縄らしい優しい社会の構築」を施策展開の基本として明示するとともに、基地問題の解決にも力を入れているところです。

 「強くしなやかな自立型経済の構築」を実現していく上で大きな力となるのが、うやふぁーふじ(先祖)から受け継いできた、沖縄の自然、歴史、伝統、文化、あるいは万国津梁の精神といった、いわゆるソフトパワーの活用です。アジアのダイナミズムというのは、今やヨーロッパ、アメリカをしのぐ勢いであり、既に沖縄はそのうねりに巻き込まれつつあります。かつて沖縄はまさしく日本の辺境、アジアの外れという場所でしたが、今はアジアの中心、そして日本国とアジアを結ぶ大変重要な役割を果たすようなところにきています。

 沖縄には、チャンプルー文化、いちゃりばちょーでー(一度出逢ったら皆兄弟)として知られる文化や生き方があります。これは小さな沖縄が周辺の国々に翻弄(ほんろう)されながらも一生懸命生き抜き、積み重ねてきた歴史から来るものであり、誇るべきものであります。

 自立型経済の構築に向けて、今一番勢いがあるのが、観光リゾート産業です。昨年、過去最高の観光入域客数を記録しましたが、外国人観光客、特に、中国や韓国、台湾を始めとするアジア各国からの観光客の大幅な増加が大きく貢献しています。外国人観光客の伸びは、今年に入っても衰えることなく、100万人を超えています。

 また、航空・物流企業の努力により、アジアを結ぶ国際物流拠点としての地位もみえてきました。また、海底ケーブルをつなぎながら日本と台北、あるいはシンガポールそれからまた沖縄につなげるといったように、情報通信産業の拠点になる要素が出てまいりました。

 日本の排他的経済水域の面積は世界第6位ですが、東西約1000km、南北約400kmの中に、有人島40を含め160の島々が広がる沖縄県は、大いにそれに貢献しています。また、伊平屋島沖に熱水鉱床が発見されるなど、海底資源という意味でも沖縄は大きな可能性をもっており、そういったことに私たちはもっと目を向け、アジアと日本の架け橋としてどのような役割を果たしていくか考え、実行していく中で、沖縄のあるべき将来像というものが作れるのではないかと思っております。

 「沖縄らしい優しい社会の構築」につきましては、41市町村で、協働のまちづくり、人と人が支え合って助け合っていく仕組みづくりに取り組んでいます。私が那覇市長のとき、那覇市でも協働のまちづくりに取り組みました。ボランティア、NPO、あるいは民生委員・児童委員、自治会や企業の皆さんの中には、地域のため、他人のために頑張っている人がたくさんおられます。500名を超える方々を協働大使に委嘱するとともに、活動拠点の一つとして、前の銘苅庁舎内に「協働プラザ」を設置しました。他の市町村も、那覇市に負けないくらい素晴らしいまちづくりに取り組んでいます。こういったものが、県民同士が支え合って助け合って生きていく沖縄らしい優しい社会の構築、沖縄全体の発展につながるものだと思っております。

 基地問題の解決を図ることは、県政の最重要課題です。基地の整理縮小を図ることは当然ですが、将来的には、平和の緩衝地帯として沖縄があってもらいたいと思っています。日本の防衛のためといって基地をたくさん置くのではなく、平和の緩衝地帯としての役割をこれから沖縄が果たしていき、アジアと日本の架け橋になることを夢見ながら今、私は県政に取り組んでいます。

3 米軍基地について

 (1)基地の成り立ちと基地問題の原点

 沖縄の米軍基地は、戦中・戦後に、住民が収容所に入れられているときに米軍が強制接収を行い形成されました。強制的に有無を言わさず奪われたのです。そして、新しい基地が必要になると、住民を「銃剣とブルドーザー」で追い出し、家も壊して造っていったのです。沖縄は今日まで自ら進んで基地のための土地を提供したことは一度もありません。

 まず、基地問題の原点として思い浮かぶのが1956年のプライス勧告です。プライスという下院議員を議長とする調査団がアメリカから来まして、銃剣とブルドーザーで接収された沖縄県民の土地について、実質的な強制買い上げをすることを勧告したのです。当時沖縄県は大変貧しかったので、喉から手が出るほどお金が欲しかったと思います。それにもかかわらず、県民は心を1つにしてそれをはねのけました。そして当時の政治家も、保守革新みんな1つになって自分たちの故郷の土地は売らないとして、勧告を撤回させたわけです。今よりも政治・経済情勢が厳しい中で、あのようなことが起きたということが、沖縄の基地問題を考える上での原点です。私たちの先輩方は、基地はこれ以上造らせないという、沖縄県の自己決定権といいますか、主張をできるような素地を作られたわけであります。

 また、サンフランシスコ講和条約発効当時は、本土と沖縄の米軍基地の割合は、おおむね9対1であり、本土の方が圧倒的に多かったのです。ところが、本土で米軍基地への反対運動が激しくなると、米軍を沖縄に移し、基地をどんどん強化していったのです。日本国憲法の適用もなく、基本的人権も十分に保障されなかった沖縄の人々には、そのような横暴ともいえる手段に対抗するすべはありませんでした。その結果、国土面積のわずか0・6%しかない沖縄県に、73・8%もの米軍専用施設を集中させるという、理不尽きわまりない状況を生んだのです。

 (2)普天間飛行場返還問題の原点

 政府は、普天間飛行場返還の原点を、平成8年に行われた橋本・モンデール会談に求め、沖縄県が県内移設を受け入れた原点を、平成11年に当時の県知事と名護市長が受け入れたことに求めています。

 しかしながら、普天間基地の原点は戦後、住民が収容所に入れられているときに米軍に強制接収をされたことにあります。

 政府は、県民が土地を一方的に奪われ、大変な苦痛を背負わされ続けてきた事実を黙殺し、普天間基地の老朽化と危険性を声高に主張し、沖縄県民に新たな基地負担を強いようとしているのです。私は日本の安全保障や日米同盟、そして日米安保体制を考えたときに、「辺野古が唯一の解決策である」と、同じ台詞を繰り返すだけの政府の対応を見ていると、日本の国の政治の堕落ではないかと思わずにはいられません。

 また、政府は過去に沖縄県辺野古を受け入れた点を強調していますが、そこには、政府にとって不都合な真実を隠蔽(いんぺい)し、世論を意のままに操ろうとする、傲慢(ごうまん)で悪意すら感じる姿勢が明確に現れています。

 平成11年、当時の稲嶺知事は、辺野古を候補地とするにあたり、軍民共用空港とすること、15年の使用期限を設けることを前提条件としていました。つまり、15年後には、北部地域に民間専用空港が誕生することを譲れない条件として、県内移設を容認するという、苦渋の決断を行ったのです。さらに、当時の岸本市長は、知事の条件に加え、基地使用協定の締結が出来なければ、受入れを撤回するという、厳しい姿勢で臨んでいました。

 沖縄側の覚悟を重く見た当時の政府は、その条件を盛り込んだ閣議決定を行いました。ところが、その閣議決定は、沖縄側と十分な協議がなされないまま、平成18年に一方的に廃止されたのです。

 当時の知事、名護市長が受入れに際し提示した条件が廃止された以上、受入れが白紙撤回されることは、小学生でも理解できる話です。

 私は、政府が有利に物事を運ぶため、平然と不都合な真実を覆い隠して恥じることのない姿勢を見るにつけ、日本国の将来に暗澹(あんたん)たるものを感じずにはいられません。

 (3)「沖縄は基地で食べている」 基地経済への誤解

 よく、「沖縄は基地で食べているのではないか」とおっしゃる方がいます。その背後には、「だから少しぐらい我慢しろ」という考えが潜んでいます。

 しかしながら、経済の面で言いますと、米軍基地の存在は、今や沖縄経済発展の最大の阻害要因になっています。米軍基地関連収入は、復帰前には、県民総所得の30%を超えていた時期もありましたが、復帰直後には15・5%まで落ちており、最近では約5%です。駐留軍用地の返還前後の経済状況を比較しますと、那覇新都心地区、小禄金城地区、北谷町の桑江・北前地区では、返還前、軍用地の地代収入等の直接経済効果が、合計で89億円でありましたが、返還後の経済効果は2459億円で、約28倍となっております。また雇用については、返還前の軍雇用者数327人に対し、返還後の雇用者数は2万3564人で、約72倍となっております。税収は7億9千万円から298億円と約35倍に増えました。基地関連収入は、沖縄からするともう問題ではありません。経済の面から見たら、むしろ邪魔なのです。実に迷惑な話になってきているのです。

 日本の安全保障という観点から一定程度我慢し協力しているのであって、基地が私たちを助けてきた、沖縄は基地経済で成り立っている、というような話は、今や過去のものとなり、完全な誤解であることを皆さんに知っていただきたいと思います。基地返還跡地には、多くの企業、店舗が立地し、世界中から問い合わせが来ています。

 仲井眞前知事のときに、普天間飛行場等の返還予定駐留軍用地が返されたときの経済効果を試算しました。現在の基地関連収入が501億円あります。返還後の経済効果を試算したところ、8900億円との結果が出ました。約18倍です。普天間飛行場やキャンプキンザーが返されたら、民間の施設がここに立ち上がって、ホテルなどいろいろなものが出来上がって、沖縄経済がますます伸びていくのです。基地があるから邪魔しているのです。ですから、基地で沖縄が食っているというのは、もう40年、30年前の話であって、今や基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因だということをしっかりとご理解いただきたいと思います。

 (4)「沖縄は莫大な予算をもらっている」 沖縄振興予算への誤解

 沖縄は他県に比べて莫大な予算を政府からもらっている、だから基地は我慢しろという話もよく言われます。年末にマスコミ報道で沖縄の振興予算3千億円とか言われるため、多くの国民は47都道府県が一様に国から予算をもらったところに沖縄だけ3千億円上乗せをしてもらっていると勘違いをしてしまっているのです。

 都道府県や市町村が補助事業などを国に要求する場合、沖縄以外では、自治体が各省庁ごとに予算要求を行い、また、与党国会議員等を通して、所要額の確保に尽力するというのが、通常の流れです。しかし、復帰までの27年間、沖縄県は各省庁との予算折衝を行えず、国庫補助事業を確保するための経験は一切ありませんでした。一方で沖縄の道路や港湾などのインフラは大きく立ち後れ、児童・福祉政策なども日本とは大きく異なるものであり、迅速な対応が要求されていました。

 復帰に際して、これらの課題を解決するために、沖縄開発庁が創設され、その後内閣府に引き継がれ、県や市町村と各省庁の間に立って予算の調整、確保に当たるという、沖縄振興予算の一括計上方式が導入されました。また、脆弱(ぜいじゃく)な財政基盤を補うため、高率補助制度も導入され、沖縄振興に大きな成果を上げつつ、現在に至っています。

 しかしながら沖縄県が受け取っている国庫補助金等の配分額は、全国に比べ突出しているわけではありません。

 例えば、県民一人あたりの額で見ますと、地方交付税や国庫支出金等を合わせた額は全国6位で、地方交付税だけでみると17位です。沖縄は内閣府が各省庁の予算を一括して計上するのに対し、他の都道府県では、省庁ごとの計上となるため、比較することが難しいのです。ですから「沖縄は3千億円も余分にもらっておきながら」というのは完全な誤りです。

 一方で、次のような事実についても、知っておいていただきたいと思います。沖縄が米軍施政権下にあった27年間、そして復帰後も、全国では、国鉄により津々浦々まで鉄道網の整備が行われました。沖縄県には、国鉄の恩恵は一切ありませんでしたが、旧国鉄の債務は沖縄県民も負担しているのです。また、全ての自治体で標準的な行政サービスを保障するため、地方交付税という全国的な財政調整機能があります。沖縄には復帰まで一切交付されませんでした。

 (5)基地問題に対する政府の対応

 平成27年4月に安倍総理大臣と会談した際に総理大臣が私におっしゃったのが、「普天間の代替施設を辺野古に造るけれども、その代わり嘉手納以南は着々と返す。またオスプレイも沖縄に配備しているけれども、何機かは本土のほうで訓練をしているので、基地負担軽減を着々とやっている。だから理解をしていただけませんか」という話でした。それに対して私は総理大臣にこう申し上げました。「総理、普天間辺野古に移って、そして嘉手納以南が返された場合に、いったい全体沖縄の基地はどれだけ減るのかご存じでしょうか」と。これは以前、当時の小野寺防衛大臣と私が話をして確認したのですが、普天間辺野古に移って、嘉手納以南のキャンプキンザーや、那覇軍港、キャンプ瑞慶覧とかが返されてどれだけ減るかというと、今の米軍専用施設の73・8%から73・1%、0・7%しか減らない。では、0・7%しか減らないのはなぜかというと、普天間辺野古移設を含め、その大部分が県内移設だからです。

 次に総理大臣がおっしゃるようにそれぞれ年限をかけて、例えば那覇軍港なら2028年、それからキャンプキンザーなら2025年に返すと言っています。それを見ると日本国民は、「おお、やるじゃないか。しっかりと着々と進んでいるんだな」と思うでしょう。しかし、その年限の後には、全て「またはその後」と書いてあります。「2028年、またはその後」と書いてあるのです。沖縄はこういったことに70年間付き合わされてきましたので、いつ返還されるか分からないような内容だということがこれでよく分かります。ですから、私は、総理大臣に「沖縄の基地返還が着々と進んでいるようには見えませんよ」と申し上げました。

 それから、オスプレイもほぼ同じような話になります。オスプレイも本土の方で分散して訓練をしていますが、実はオスプレイが2012年に配備される半年ぐらい前から沖縄に配備されるのではないかという話がありました。当時の森本防衛大臣などにも沖縄に配備されるのかと聞きに行きましたが、「一切そういうことは分かりません」と言っておられました。

 その森本さん自身が学者時代の2010年に出された本に「2012年までに最初の航空機が沖縄に展開される可能性がある」と書いておられます。防衛省が分からないと言っているものを、一学者が書いていてそのとおりになっているのです。私はその意味からすると、日本の防衛大臣というのは、防衛省というのはよほど能力がないか、若しくは県民や国民を欺いているかどちらかにしかならないと思います。森本さんの本には「もともと辺野古基地はオスプレイを置くために設計をしている。オスプレイが100機程度収容できる面積が必要」ということが書いてあります。そうすると今24機来ました。何機か本土に行っています。しかし、辺野古新基地が建設されると全て沖縄に戻ってくるということです。それが予測されるだけに、私は総理大臣にこのような経緯で、政府が今、沖縄の基地負担軽減に努めているとおっしゃっていることはちょっと信用できませんということを申し上げました。

 また、13年前、当時のラムズフェルド国防長官が普天間基地を視察されました。そして基地を見て「これは駄目だ、世界一危険だから早く移転をしなさい」ということをおっしゃったことが報じられました。そして今、菅官房長官なども再三再四、世界一危険とも言われる普天間飛行場辺野古に移すと言っておられます。私が日本政府に確認したいのは、ならば辺野古新基地が造れない場合に、本当に普天間は固定化するのですかということです。アメリカ政府、日本政府の主要の人間がこれだけ危険だと言っている普天間基地を、辺野古新基地ができない場合に固定化できるのですかということをお聞きしているわけです。私のこの問いに対し、安倍総理大臣からは返事がありませんでした。

 2プラス2共同発表には、世界一危険だと指摘されている普天間飛行場の5年以内運用停止が明示されていません。普天間飛行場の5年以内の運用停止について、前知事は県民に対して「一国の総理大臣および官房長官を含め、しっかりと取り組むと言っている。それが最高の担保である」と説明しています。5年以内運用停止は前知事が辺野古新基地に係る公有水面埋立承認に至った大きな柱であります。しかし、米国側からは日米首脳会談でも、この件に言及することはありませんでした。5年以内運用停止は埋立承認を得るための話のごちそう、「話クワッチー」、空手形だったのではないかと私は危惧しております。

 今日まで、基地問題がさまざまな壁にぶつかる時に、時の政府は、基地問題の解決あるいは負担軽減策等々、大変いい話をして、その壁を乗り越えたら知らんふりをするということを繰り返してきました。その結果、多くの県民は今ではそのからくりを理解しています。これが70年間の沖縄の基地問題の実態なのです。

 (6)県民世論

 普天間飛行場の返還を20年間できなかったということについて、政府に反省がないと思います。なぜ20年間、返還を実現できなかったのですかということに政府は答えておられない。ですから、平成25年、前知事が辺野古新基地に係る公有水面埋立承認をしたことばかり強調されているわけです。

 平成26年、沖縄県は選挙に始まり、選挙に終わった年でした。まず、1月に行われた名護市長選では、辺野古移設反対の候補が再選を果たしました。

 11月に行われた知事選挙では、現職知事を相手に、私が圧倒的な得票で当選を果たしました。そして12月、全国的には自由民主党が290議席という形で圧倒的に勝利した総選挙では、沖縄の4つの小選挙区全てで自由民主党候補が敗れました。

 このような圧倒的な民意が示された中で、地元の理解を得ることなく日米安保体制・日米同盟をこれから安定的に維持できるのか。私が当選した時点で政府側から色々な意見交換や話し合いがあってもよかったのかなという思いがありますが、政府は必ず辺野古新基地を造るというスタンスであり、実現しませんでした。

  それから菅官房長官は、沖縄県民の民意について、いろいろな意見があるでしょうと発言されています。昨年の名護市長選挙、特に県知事選挙、衆議院選挙、争点はただ1つでした。前知事が埋立承認をしたことに対する審判を問うたのです。私と前知事の政策面での違いは埋立承認以外に大きなものはありません。ですからあの埋立承認の審判が今度の選挙の大きな争点であり、その意味で10万票の差で私が当選したことは、沖縄県民の辺野古新基地建設反対という明確な意思が示されたものであります。

4 日米安全保障条約

 私は、自由民主党の県連幹事長をしておりましたので、日米同盟、日米安保を十分理解しておりますが、国土面積のわずか0・6%しかない沖縄県に、73・8%もの米軍専用施設を押し付け続けるのは、いくらなんでもひどいのではないですかということを申し上げているわけです。

 しかし、政府は、どこそこから攻められてきたらどうするのだ、沖縄に海兵隊がいなければとても日本は持たないのではないかという発想で日米安保を考えています。

 世の中はソビエトが崩壊しました。中国も、昔のような中国ではありません。米国と中国がどういう形で米中関係を築いていくか等、こういったことを考えると、70年代のまま全く同じように在沖米軍基地があるべきなのか考える必要があります。30年前、私は自由社会を守るべきだと体を張って頑張りましたが、ソビエトが崩壊し中国の形が変わった今でも、政府からは今度は中東問題のために沖縄が大切、シーレーンのためにも沖縄が大切と、どのように環境が変わっても沖縄には基地を置かなければいけないという説明が繰り返されております。

 沖縄一県に日本の防衛のほとんど全てを押し込めていれば、いざ、有事の際には、沖縄が再び戦場になることは明らかです。

 私は自国民の自由、平等、人権、民主主義を守れない国が、どうして世界の国々にその価値観を共有することができるのか疑問に思っています。

 同時に、日米安保体制、日米同盟はもっと品格のある、誇りの持てるものでなければアジアのリーダーとして、世界のリーダーとしてこの価値観を共有することができないのではないかと思っております。

 私はこれまでに橋本総理大臣、小渕総理大臣、そしてその時の野中官房長官、梶山官房長官等々、色々と話をする機会がありました。野中先生なども国の安全保障体制の考え方に違いがありませんが、当時、県会議員の1、2期の私に、土下座せんばかりに「頼む。勘弁してくれ。許してくれ」とお話をされるような部分が、どの先生にもありました。後藤田正晴先生も私が那覇市長になった15年程前にお会いしたら「俺は沖縄に行かないんだ」とおっしゃいました。私は沖縄が何か先生に失礼なことをしたのかなと思ったのですが、その後の話に胸が熱くなりました。「かわいそうでな。県民の目を直視できないんだよ、俺は」とおっしゃったのです。こういう方々がたくさんおられました。

 そういった中で、日本の安全保障あるいはアジアの安定、日米同盟の大切さ、あるいは中国が台頭してきている米中の関係等も全て踏まえながら、沖縄への思いを伝えながらの対話でありました。私も基本的には「こんなに基地を置いてもらっては困りますよ」と申し上げましたが、沖縄への深い思いを抱いていた当時の先生方とは、対話は成り立っていたのです。

 しかしながら、この5、6年というのは全くそれが閉ざされてしまっています。沖縄の歩んできた苦難の歴史への反省や洞察が十分ないまま、沖縄が何か発言すると、政府と対立している、振興策はあれだけもらっていて何を文句を言っているのだ、生意気だと非難されます。今のような状況を考えますと、戦後27年間、その間に日本の独立と引換えに沖縄が切り離され、米軍施政権下に置かれ続けた、あの時代は何だったのだろうと思います。

 いつまでも昔の話をするなという方がいるかもしれません。しかし、本当の対話を可能にするには、こういう昔の出来事の話からしなければならないのです。仮に海兵隊が全ていなくなれば、あるいは少しは残ったとしても、私は「過去は過去」という話になり得ると思います。しかし、国土面積のわずか0・6%しかない沖縄県に、73・8%もの米軍専用施設を置いたまま、これから10年も20年、あるいは30年もとなると、やはり日米安保、日米同盟というのは砂上の楼閣に乗っているような、そういう危ういものになるのではないかと思っています。

5 前知事の突然の埋立承認

 平成22年の県知事選では私は仲井眞前知事の選対部長をして普天間飛行場の県外移設ということで選挙を戦い、前知事が当選を果たしました。2カ年半は全く同じ考え方を発信しながらやっておりました。

 実際、仲井眞前知事の議会等でのご発言を見ていただければ分かりますが、私が今申し上げていることとほとんど同じようなことを話しています。

 例えば、私がよく、危険な普天間基地の移設について、嫌なら沖縄が代替案を出せ等と言われることに対して、「日本の国の政治の堕落だ」ということを申し上げますが、実は、この言葉は、他でもない仲井眞前知事が発したものでした。それだけに、突然、公約を破棄する形で埋立承認をされ、これによって今日の事態が生じているわけでありますから、今思い返しても大変残念であり、無念な出来事だったと思っております。

 安倍総理大臣との会談後、「有史以来の予算。これはいい正月になる」と記者会見で満面の笑みを浮かべたわずか2日後に行われた、辺野古の埋立承認でした。多くの県民は、あたかも振興策と引き替えにしたような承認に、誇りを傷つけられました。それは同時に、承認手続そのものへの不信感を招く結果ともなったのです。

6 前知事の承認に対する疑問-取消しの経緯

 (1)仲井眞前知事の埋立承認についての疑問

 仲井眞前知事の突然の埋立承認に対する疑問は、あまりに突然の対応の変化が不自然であったという感覚的なものだけではありませんでした。承認に至る手続の中で示されてきた知事意見や生活環境部意見を踏まえても判断を誤っているのではないかと思われるものでした。

 ア 埋立承認に至る経緯をみますと、まず、仲井眞前知事は、平成24年3月に、辺野古埋立事業についての環境影響評価書についての意見を述べましたが、その内容は、「評価書で示された環境保全措置等では、事業実施区域周辺域の生活環境及び自然環境の保全を図ることは、不可能と考える」というものでした。

 イ その後、平成25年11月には、「普天間飛行場代替施設建設事業公有水面埋立承認願書に対する名護市長意見書」が名護市議会において可決され、同月27日に沖縄県に提出されておりましたが、同意見書は、「環境保全に重大な問題があり、沖縄県知事意見における指摘のとおり、事業実施区域周辺域の生活環境及び自然環境の保全を図ることは不可能であると考え、本事業の実施については強く反対いたします。本件申請については、下記の問題があると考えられますので、未来の名護市沖縄県への正しい選択を残すためにも、埋立ての承認をしないよう求めます」というものでした。

 ウ 同じ頃、県では、土木建築部海岸防災課・農林水産部漁港漁場課により、審査状況について中間報告が提出されております。同報告は、「『事業実施区域周辺域の生活環境及び自然環境の保全を図ることは不可能』とした知事意見への対応がポイント」とするとともに、「環境生活部の見解を基に判断」するとしていました。

 そして、平成25年11月29日、環境生活部長から土木建築部長宛に、環境生活部長意見が提出されております。そこでは、環境保全の見地から、18項目にわたって詳細に問題点を指摘したうえで、「当該事業に係る環境影響評価書に対して述べた知事等への意見への対応状況を確認すると、以下のことなどから当該事業の承認申請書に示された環境保全措置等では不明な点があり、事業実施区域周辺域の生活環境及び自然環境の保全についての懸念が払拭できない」と結論づけていました。

 その後、土木建築部から環境生活部への再度の照会等はなされておりませんので、この結論が、環境生活部の最終意見ということになっているのです。

 エ 仲井眞前知事の埋立承認は、それからわずか1カ月後でした。環境生活部の最終意見についてどうやって対応できたのか、非常に疑問が残る突然の承認であったのです。

 (2)第三者委員会の設置と国との集中協議

 ア このように、前知事の承認は、単純に公約違反というような政治的な意味合いにとどまらない問題をはらんでいると思われました。世論はもちろん、環境関係の専門家らから要件を充足していない違法な承認であるとの抗議が一斉に起きたのです。

 そこで、平成26年12月に知事に就任した私は、まず、埋立承認に法律的な瑕疵(かし)がないか確認することとしました。平成27年1月26日に第三者委員会を設置し、環境面から3人、法律的な側面から3人の6人の委員に依頼して、客観的、中立的に判断していただくようお願い致しました。

 その結果、平成27年7月16日に法律的な瑕疵があったとの報告を受けました。報告書は、約130頁に及ぶもので、公水法の各要件について詳細な検討がなされておりました。

 イ その後、平成27年8月10日から9月9日まで、沖縄県と国とが集中的に協議をするということで国が工事を中止して、会議が始まりました。

 私はその中で沖縄県の今日までの置かれている立場、歴史、県民の心、基地が形成されてきた過程、あるいは沖縄県の振興策のあるべき姿や現状を説明し、ご理解を得られるよう最大限努力しました。5回の集中協議の中で、私の考え方をまんべんなく申し上げましたが、国から返ってくる言葉はほとんどなく、残念ながら私の意見を聞いて考えを取り入れようというものは見えてきませんでした。

 集中協議では、ある意味で溝が埋まるようなものが全くない状況でございました。協議の中でも、私どものいろいろな思いをお話させていただきましたが、1つ議論が少しできたのは、防衛大臣との抑止力の問題だけで、それ以外は、閣僚側から意見、反論はありませんでした。

 その抑止力の問題についてですが、一つには、沖縄一県に米軍基地を過度に集中させている現状にあります。このことは他国からすれば、日本全体で安全保障を守るという気概が見えず、日本の安全保障と抑止力の観点から深刻な問題であると考えています。

 また、防衛省は、海兵隊が沖縄に駐留する必要性として、海兵隊の機動性、即応性、一体性を挙げて説明します。しかし、海兵隊は今でも、各国の基地にローテーション配備されている状況にあります。防衛省が主張する機動性等は、逆に沖縄以外での配備が十分に可能であることを示すものであり、沖縄に配備し続ける理由たり得ないのです。

 この他にも、海兵隊は西日本にあれば足りるとする森本元防衛大臣の発言や、海兵隊の分散配備を可能とする中谷防衛大臣の過去の発言など、沖縄に起き続けなければならないことを否定するような話は、政府高官からも出ているのです。

 抑止力と関連しまして中国の脅威でありますけれども、中谷防衛大臣からは、中国軍機によるスクランブルや尖閣への領海侵犯の説明とともに、宮古にも石垣にも与那国にも自衛隊基地を置く必要があるとの話がありました。

 私が申し上げたのは、それでは、私たちが27年間、米軍の施政権下にあったときのソビエトとの冷戦構造時代は、今の時代よりは平和だったのでしょうかと。その過去と比べて、いわゆる今の中国の脅威というものは、あの冷戦構造時代よりももっと脅威になっているのかどうか。日本政府は積極的平和主義ということで、オバマ大統領と協定を結び、これから中東も視野に入れて、沖縄の基地を使うと言っているのです。

 沖縄は、冷戦構造のときには自由主義社会を守るという理由で基地が置かれ、今度は中国を相手に、さらには中東までも視野に入れて、沖縄に基地を置き続けるということになります。これはまるで、私たちの沖縄というのは、ただ、ただ、世界の平和のためにいつまでも、膨大な基地を預かって未来永劫(えいごう)、我慢しろということを強要されているのに等しいことです。沖縄県民も日本人であり、同じ日本人としてこのような差別的な取り扱いは、決して容認できるはずもありません。

 それから、ジョセフ・ナイ氏や、マイク・モチヅキ氏といった高名な研究者が、「沖縄はもう中国に近すぎて、中国の弾道ミサイルに耐えられない。こういう固定的な、要塞的な抑止力というのは、大変脆弱性がある」というような話もされております。また、米有力シンクタンクの最新の研究でも沖縄の米軍基地の脆弱性が指摘されています。抑止力からすれば、もっと分散して配備することが理にかなっているのです。

 中国のミサイルへの脅威に、本当に沖縄の基地を強化して対応できるのか。これが私からすると大変疑問であります。なおかつオスプレイは運輸、輸送するための航空機であることを考えると、抑止力になるということは、まずあり得ないというのが私の考えです。

 私は、中谷防衛大臣とお話をしたとき、巡航ミサイルで攻撃されたらどうするんですか、と尋ねました。すると大臣は、ミサイルにはミサイルで対抗するとおっしゃったのです。迎撃ミサイルで全てのミサイルを迎撃することは不可能ですし、迎撃に成功した場合でも、その破片が住宅地に落ちて大きな被害を出したことを、私たちは湾岸戦争等を通じて知っています。ですから、防衛大臣の発言を聞いたときには、私は心臓が凍る思いがしました。そして、沖縄県を単に領土としてしか見ていないのではないか、140万人の県民が住んでいることを理解していないのではないかと申し上げたのです。

 4回目の協議で菅官房長官と話をした際、沖縄県の色々な歴史、県民の心を話して、それについてのお考えはありませんかと申し上げましたが、その時に官房長官が何とおっしゃったかといいますと、私は戦後生まれで、なかなかそういうことが分かりにくいと。また、普天間の原点は橋本・モンデール会談ですとおっしゃっていました。

 私なりに言葉を尽くして説明しましたが、この発言には驚かされました。そしてこの方には、沖縄の抱える問題についてご理解いただけない、理解するつもりもないのではないかという印象を抱いた次第です。

 5回目の最後の協議には、安倍総理大臣も出席されておりました。私は安倍総理大臣にはこういう話をしました。

 私たちがアメリカ、ワシントンD.C.に行きまして、米国政府関係者に話を聞いていただいても、最後は国内問題だから日本政府に言いなさいとなります。

 そして、日本政府に申し上げると、アメリカが嫌だと言っていると。こういうものが過去の歴史で何回もありました。

 私はそれを紹介した後に、沖縄が米軍の施政権下に置かれているときに、沖縄の自治は神話だと高等弁務官から言われましたが、日本の真の独立は神話だと言われないようにしてください、ということを総理大臣に申し上げたわけです。しかし、総理大臣からは何も意見はありませんでした。

 そういう状況の中で、最後の集中協議の場で、私の方から、このまま埋立工事を再開する考えなのか尋ねたところ、菅官房長官からは「そのつもりです」という話があり、事実、協議期間の終わった翌日には有無を言わさず工事を再開する政府の姿勢に、沖縄のみならず日本の行く末に大きな不安を感じた次第です。

 集中協議の終了後、顧問弁護士や県庁内での精査の結果、承認には取り消し得べき瑕疵があることが認められたため、私は取消しの決意を固めました。

 ウ 今回、取消手続の中で、意見聴取、あるいは聴聞の期日を設けましたが、沖縄防衛局長には応じていただけませんでした。陳述書は提出されましたが、聴聞に出頭してもらえなかったことを考えますと、政府の皆様が繰り返しおっしゃられる「沖縄県民に寄り添ってこの問題を解決する」姿勢は微塵(みじん)も感じられませんでした。

 こうした意見聴取、聴聞という取消手続を経て今回の承認取消しに至るわけですが、これはもうある意味で沖縄県の歴史的な流れ、あるいはまた戦後70年の在り方、そして現在の、0・6%に73・8%という、沖縄の過重な基地負担、ひいては日米安保のあり方等について、多くの県民や国民の前で議論されることに意義があると思います。

 いろんな場面、場面で私たちの考え方を申し上げて、多くの県民や国民、そして法的な意味でも政治的な意味でも理解していただきたいと思っております。

 なお、原告である国土交通大臣は、地方自治法に基づく代執行手続に入る前日に、沖縄防衛局長が行った審査請求に対し、審査庁として取消処分を停止する決定を行っております。準司法的手続であり、審査庁である国土交通大臣には厳格な中立性が求められます。その審査庁自身が、原告として知事を訴えるという、異様としか言いようのない対応が行われています。法治国家であることを自ら否定するような国土交通大臣の対応は、沖縄県民の民意を踏みにじるためなら手段を選ばない、米軍基地の負担は、沖縄県だけに押しつければよいという、安倍内閣の明確な意思の表れに他なりません。

 しかし、沖縄県にのみ日米安全保障の過重な負担を強要する政府の対応そのものが、日本の安全保障を危うくしかねない問題をはらんでいます。やはり日本全体で日米安全保障を考えるという気概がなければ、日本という国がおそらく他の国からも理解されないだろう、尊敬されないだろう、というように考えます。

 (3)承認取消へ

 前述のとおり、第三者委員会による報告を受けた後、集中協議においても、なぜ基地の過重な負担に苦しむ沖縄の辺野古に新たに基地を造らなければならないのか等について質問させていただきましたが、納得のいく回答は全く得られませんでした。そのうえ、菅官房長官は、協議終了後には、工事を再開すると言われました。

 そこで、顧問弁護士や県庁内での精査の結果、承認には取り消し得べき瑕疵があることが認められたため、平成27年10月13日に、前知事の承認処分を取り消しました。

 (4)政府の対応

 沖縄防衛局長が取消通知書を受け取った日の翌日に審査請求を行ったことは、新基地建設ありきの政府の強硬姿勢を端的に示すもので誠に残念でした。

 行政不服審査法は、国や地方公共団体の処分等から国民の権利利益の迅速な救済を図ることを目的としておりますが、国の一行政機関である沖縄防衛局が、自らを国民と同じ「私人」であると主張して審査請求を行うことは、同法の趣旨にもとる行為であり、国民の理解を得られないと思います。

 また、「辺野古が唯一」という政府の方針が明確にされている中で、同じ内閣の一員である国土交通大臣に、本件について審査請求を行うことは不当という他ありません。いずれにしても、行政不服審査法の運用上悪しき前例になるものと考えております。

 執行停止につきましては、去る平成27年10月21日、900ページを超える意見書とこれに関する証拠書類を提出しました。その際、国土交通大臣に対しては、「県の意見書を精査し、慎重かつ公平にご判断いただきたい」旨申し上げました。

辺野古が唯一」という政府の方針が明確にされてはおりますが、国土交通大臣におかれては、審査庁として公平・中立に審査されると期待しておりました。しかし、それが実質2、3日のわずかな期間で、しかも、沖縄防衛局長が一私人の立場にあるということを認めた上で執行停止の決定がなされたことに、強い憤りを覚えました。この執行停止決定については、やはり内閣の一員として結論ありきの判断をされたと言わざるを得ません。

 このような国土交通大臣の執行停止決定は違法な関与行為であると考え、沖縄県では国地方係争処理委員会に対して審査を申し出ております。

 理由としては2点あります。

 第1に、代執行手続には、執行停止の手続が定められておりません。このたびの本件執行停止は、まさしく、代執行手続が進められている間も埋立工事を行うための方便として使われているものにほかなりません。政府は、「辺野古が唯一」との方針を明確に示しておりますが、憲法上、内閣の構成員は一体となって統一的な行動をとることが求められています。沖縄防衛局長は、防衛大臣の指揮命令を受けて業務に従事しているに過ぎず、また、内閣の構成員である国土交通大臣が、閣議決定等が行われている辺野古移設の方針に反する判断を下すことは不可能であります。したがって、今回の審査請求では、判断権者の公正・中立という行政不服審査制度の前提が欠落していると言わざるを得ません。

  第2に、本来、公有水面埋立承認は、国が米軍基地の建設を目的として、「固有の資格」、つまり私人には行い得ない立場において受けたものです。本件執行停止決定が、沖縄防衛局長を私人と同様の立場にあると認めたのは明らかに誤っております。この点につきましては、90名を超える行政法学者からも批判されております。

7 主張

 (1)政府に対して

 私は1カ月間の集中協議の中で、沖縄の歩んできた苦難の歴史や県民の思い等々を説明しました。その置かれている歴史の中で戦後の70年があったわけで、その中の27年間という特別な時間もありました。そして、復帰後も国土面積の0・6%に在日米軍専用施設の73・8パーセントの基地があるという状況に変わりがありません。それは米軍施政権下の1950年代に日本本土に配備されていた海兵隊が、反対運動の高まりにより、沖縄に配置された結果、沖縄の基地は拡充され、今につながっているのです。

 このように沖縄の歴史や置かれている立場等をいくら話しても、基地問題の原点も含め、日本国民全体で日本の安全保障を考える気概も、その負担を分かち合おうという気持ちも示してはいただけませんでした。そのような状況に対して、私は「魂の飢餓感」という言葉を使うほかありませんでした。

 政府に対しては、辺野古新基地が出来ない場合、これはラムズフェルド国防長官が普天間は世界一危険な飛行場だと発言され、官房長官も国民や県民を洗脳するかのように普天間の危険性除去の為に辺野古が唯一の政策だとおっしゃっていますが、辺野古が出来なければ本当に普天間の危険性を固定化しつづけるのか、明確に示していただきたいと思います。 

 そして、埋立てを進めようとしている大浦湾は、「自然環境の保全に関する指針(沖縄島編)」において、大部分が、「自然環境の厳正な保護を図る区域」であるランク1に位置づけられています。この美しいサンゴ礁の海、ジュゴンやウミガメが生息し、新種生物も続々と発見され、国内有数の生物多様性に富んでいる海を簡単に埋めて良いのか。一度失われた自然は二度と戻りません。日本政府の環境保護にかける姿勢について、国内だけではなく、世界から注視されています。

 安倍総理大臣は第一次内閣で「美しい国日本」と、そして今回は「日本を取り戻そう」とおっしゃっています。即座に思うのは「そこに沖縄は入っていますか」ということです。そして「戦後レジームからの脱却」ともおっしゃっています。しかし、沖縄と米軍基地に関しては、「戦後レジームの死守」のような状況になっています。そしてそれは、アメリカ側の要望によるものではなく、日本側からそのような状況を固守していることが、様々な資料で明らかになりつつあります。沖縄が日本に甘えているのでしょうか、日本が沖縄に甘えているのでしょうか。これを無視してこれからの沖縄問題の解決、あるいは日本を取り戻すことはできないと考えています。沖縄の基地問題の解決は、日本の国がまさしく真の意味でアジアのリーダー、世界のリーダーにもなり得る可能性を開く突破口になるはずです。辺野古の問題で、日本と沖縄は対立的で危険なものに見えるかもしれませんが、そうではないのです。 

 沖縄の基地問題の解決は、日本が平和を構築していくのだという意思表示となり、沖縄というソフトパワーを使っていろいろなことができるでしょう。さまざまな意味で沖縄はアジアと日本の懸け橋になれる。そして、アジア・太平洋地域の平和の緩衝地帯となれるのです。 

 辺野古から、沖縄から日本を変えるというのは、日本と対立するということではありません。県益と国益は一致するはずだ、というのが、私が日頃からお話していることなのです。

 琉球処分沖縄戦、なぜいま歴史が問い直されるのか。それは、いま現に膨大な米軍基地があるから過去の歴史が召還されてくるのです。極端に言うと、もし基地がなくなったら、一つのつらい歴史的体験の解消になりますから、「過去は過去だ」ということになるでしょう。銃剣とブルドーザーで奪われた土地が基地になり、そっくりそのままずっと置かれているから、過去の話をするのです。生産的でないから過去の話はやめろと言われても、いまある基地の大きさを見ると、それを言わずして、未来は語れないのです。ここのところを日本国が気づいていないものと考えております。

 (2)国民、県民、世界の人々に対して

 よく私が辺野古移設反対と述べると、本土の方から、「あなたは日米安保に賛成ではないですか」と質問されます。私が「賛成です」と答えますと「なぜ辺野古移設に反対するのですか」と続きます。その時に私は「本土の方々は日米安保に反対なのですか。賛成ならば、なぜ米軍基地を受け入れないのですか」と申し上げています。こういったものの見方が沖縄と本土の人とでは完全にすれ違っているのだと考えています。

 米軍基地問題はある意味では沖縄が中心的な課題を背負っているわけですが、日本という国全体として、地方自治、本当に一県、またはある特定の地域に、こういったことが起きた時に日本としてどう在るべきか、今回の件は多くの国民に見て、考えてもらえるのではないかと思っております。そういう意味からしますと、一義的に沖縄の基地問題あるいは歴史等々を含めたことではありますが、日本の民主主義、安全保障というものに対して、国民全体が真剣に考えるきっかけになってほしいと思っております。

 平成26年12月に知事に当選した私が、官邸の方とお会いしようとしても、全く会ってもらえませんでした。いろいろ、周辺から意見がございましたが、私があの時、今のあるがままを見て、県民も国民も考えてもらいたい、ということを3月までずっと言い続けてきたわけであります。

 政府は、大勢の海上保安官警視庁機動隊員を現場に動員し、行政不服審査法や地方自治法の趣旨をねじ曲げてまで、辺野古埋め立て工事を強行しています。それに対して、私たちは暴力で対抗することはしません。法律に基づく権限を含め、私はあらゆる手法を駆使して辺野古新基地建設を阻止する覚悟です。

 そのあるがままの状況を全国民に見てもらう。私からも積極的に情報を発信し、政府とも対話を重ねていきます。そうすることで、今まで無関心、無理解だった本土の方々もこのような議論を聞きながら、小さな沖縄県に戦後70年間も過重な基地負担を強いてきたことをきちんと認識してもらいたい。まして日本のために10万人も県民が地上戦で亡くなって、そういうふうに日本国に尽くして日本国を思っている人々に対し、辺野古新基地建設を強行し、過重な基地負担を延長し続けるということが、どういう意味を持つのか、日本国の品格、処し方を含めて考えていただきたいと思っております。

 いわゆるアジアのリーダー、世界のリーダー、国連でももっとしっかりした地位を占めたいという日本が、自国民の人権、平等、民主主義、そういったものも守ることができなくて、世界のそういったものと共有の価値観を持ってこれからリーダーになれるかどうかという点について、国民全体で考えるきっかけになればいいと思っております。

 国民と県民の皆さん方に知っていただきたいことは、政府は、普天間基地の危険性除去のため辺野古移設の必要性を強調する一方で、5年以内の運用停止を含めた実際の危険性の除去をどのように進めるかについては、驚くほど寡黙なことです。

 辺野古新基地建設には、政府の計画通り進んだとしても10年間かかります。しかし、埋め立て面積が161ヘクタールと広大であること、埋立区域の地形が複雑で最大水深も40メートルを超えること、沖縄が台風常襲地帯であること等を考慮すれば、新基地が実際に供用されるまで、十数年から場合によっては20年以上の歳月が必要となることは、沖縄県民なら容易に推測できます。

 私からは、普天間基地の危険性を除去するため、集中協議で再三再四、5年以内の運用停止の具体的な取組みを求めましたが、安倍総理大臣や菅官房長官などからは、何ら返答をいただくことは出来ませんでした。

 運用停止について一切の言及がなかったことは逆に、政府にとって不都合な真実を浮かび上がらせることになったのではないかと考えています。

 つまり、辺野古新基地が供用開始されるまでの間は、例え何年何十年かかろうとも、現在の普天間基地の危険性を放置し、固定化し続けるというのが、政府の隠された方針ではないか、と言うことです。

 辺野古埋立てにより全てがうまくいく、という政府の説明を真に受けてはいけません。5年以内の運用停止の起点からまもなく2年になるのに、なぜ、全く動かないのか、政府から決して説明されることのない、真の狙いについて、国民、県民の皆様にも、真剣に考えていただきたいと思います。

 そして、普天間飛行場代替施設が辺野古に仮にできるようなことがありましたら、耐用年数200年間とも言われる新基地が、国有地として、私たちの手を及ばないところで、縦横無尽に161ヘクタールを中心としたキャンプ・シュワブの基地が永久的に沖縄に出てくることになり、沖縄県民の意志とは関係なくそこに大きな基地ができあがってきて、それが自由自在に使われるようになります。

 今、中国の脅威が取りざたされておりますけれども、その意味からすると200年間、そういった脅威は取り除かれない、というような認識でいるのかどうか。そして今日までの70年間の基地の置かれ方というものについてどのように反省をしているのか。日本国民全体で考えることができなかったことについて、どのように考えているのかを問いたいのです。

 私は、世界の人々に対しても、ワシントンD.C.や国連人権委員会で沖縄の状況について説明させていただきました。

 安倍総理大臣は、国際会議の場等で、自由と平等と人権と民主主義の価値観を共有する国と連帯して世界を平和に導きたい、というようなことを繰り返し主張されておられます。しかしながら、私は、今の日本は、国民にさえ自由、平等、人権、あるいは民主主義というようなものが保障されていないのではないか、そのような日本がなぜ他の国々とそれを共有できるのか、常々疑問に思っておりました。そこで、沖縄の状況を世界に発するべきだと考えたのです。

 民主主義国・日本、民主主義国・アメリカとして本当にこの状況に、世界の人々の理解を得られるのかどうか、沖縄の状況のあるがままを世界の人々に見ていただくということは、これからの日本の政治の在り方を問うという意味でも大切なことだと思っています。

 (3)アメリカに対して

 私たちがアメリカに要請に行くと「基地問題は日本の国内問題だから、自分たちは知らない」と、必ずそうおっしゃいます。

 しかし、自然環境保全の観点から、また、日米安保の安定運用や日米同盟の維持を図る観点から、アメリカは立派な当事者なのです。傍観者を装う態度は、もはや許されません。

 まず、新基地が建設される辺野古の海は、ジュゴンが回遊し、ウミガメが産卵し、短期間の調査で新種の生物が多数発見される、日本国内でも希有(けう)な、生物多様性に富む豊かな海です。海は一度埋め立ててしまったなら、豊かな自然は永久に失われます。未発見の生物を含め、辺野古大浦湾にしか生息しない多くの生物が絶滅を免れません。深刻な自然環境の破壊と多くの生物を絶滅に追いやるのが日米両政府であり、海兵隊であることを、アメリカの人々はきちんと認識し、受け止めなければなりません。海兵隊基地を建設する以上、自然環境破壊の責任は、アメリカにもあるのです。

 次に、日米同盟の維持についてですが、アメリカに対し、私自身が安保体制というものは十二分に理解をしていること、しかしながら、沖縄県民の圧倒的な民意に反して辺野古に新基地を建設することはまずできないということを訴えていきたいと思います。仮に日本政府が権力と予算にものを言わせ、辺野古新基地建設を強行した場合、沖縄県内の反発がかつてないほど高まり、結果的に米軍の運用に重大な支障を招く事態が生じるであろうことは、想像に難くありません。

 私は安保体制を十二分に理解をしているからこそ、そういう理不尽なことをして日米安保体制を壊してはならないと考えております。日米安保を品格のある、誇りあるものにつくり上げ、そしてアジアの中で尊敬される日本、アメリカにならなければ、アジア・太平洋地域の安定と発展のため主導的な役割を果たすことはできないと考えております。

以上

戦後71年目を迎え、年の初めに今一度社会の在り方を考えてみました。第1弾は福井地裁、大飯原発運転差し止めの判決文です。

【少し長いですが、教科書と思って読んでください】

 

大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決要旨(2014年5月21日)

 

「・・豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富・・」

 

【主文】

1  被告は、別紙原告目録1記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏内に居住する166名)に対する関係で、福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1-1において、大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。

2  別紙原告目録2記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏外に居住する23名)の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、第2項の各原告について生じたものを同原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

 

【理由】

1 はじめに

 ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。このことは、当然の社会的要請であるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、私法を問わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である。

 個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。

2 福島原発事故について

 福島原発事故においては、15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、この避難の過程で少なくとも入院患者等60名がその命を失っている。家族の離散という状況や劣悪な避難生活の中でこの人数を遥かに超える人が命を縮めたことは想像に難くない。さらに、原子力委員会委員長が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討したのであって、チェルノブイリ事故の場合の住民の避難区域も同様の規模に及んでいる。

 年間何ミリシーベルト以上の放射線がどの程度の健康被害を及ぼすかについてはさまざまな見解があり、どの見解に立つかによってあるべき避難区域の広さも変わってくることになるが、既に20年以上にわたりこの問題に直面し続けてきたウクライナ共和国、ベラルーシ共和国は、今なお広範囲にわたって避難区域を定めている。両共和国の政府とも住民の早期の帰還を図ろうと考え、住民においても帰還の強い願いを持つことにおいて我が国となんら変わりはないはずである。それにもかかわらず、両共和国が上記の対応をとらざるを得ないという事実は、放射性物質のもたらす健康被害について楽観的な見方をした上で避難区域は最小限のもので足りるとする見解の正当性に重大な疑問を投げかけるものである。上記250キロメートルという数字は緊急時に想定された数字にしかすぎないが、だからといってこの数字が直ちに過大であると判断す’ることはできないというべきである。

3 本件原発に求められるべき安全性

(1)  原子力発電所に求められるべき安全性

 1、2に摘示したところによれば、原子力発電所に求められるべき安全性、信頼性は極めて高度なものでなければならず、万一の場合にも放射性物質の危険から国民を守るべく万全の措置がとられなければならない。

 原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。しかるところ、大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。このことは、土地所有権に基づく妨害排除請求権や妨害予防請求権においてすら、侵害の事実や侵害の具体的危険性が認められれば、侵害者の過失の有無や請求が認容されることによって受ける侵害者の不利益の大きさという侵害者側の事情を問うことなく請求が認められていることと対比しても明らかである。

 新しい技術が潜在的に有する危険性を許さないとすれば社会の発展はなくなるから、新しい技術の有する危険性の性質やもたらす被害の大きさが明確でない場合には、その技術の実施の差止めの可否を裁判所において判断することは困難を極める。しかし、技術の危険性の性質やそのもたらす被害の大きさが判明している場合には、技術の実施に当たっては危険の性質と被害の大きさに応じた安全性が求められることになるから、この安全性が保持されているかの判断をすればよいだけであり、危険性を一定程度容認しないと社会の発展が妨げられるのではないかといった葛藤が生じることはない。原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。

(2)  原子炉規制法に基づく審査との関係

 (1)の理は、上記のように人格権の我が国の法制における地位や条理等によって導かれるものであって、原子炉規制法をはじめとする行政法規の在り方、内容によって左右されるものではない。したがって、改正原子炉規制法に基づく新規制基準が原子力発電所の安全性に関わる問題のうちいくつかを電力会社の自主的判断に委ねていたとしても、その事項についても裁判所の判断が及ぼされるべきであるし、新規制基準の対象となっている事項に関しても新規制基準への適合性や原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否という観点からではなく、(1)の理に基づく裁判所の判断が及ぼされるべきこととなる。

 4 原子力発電所の特性

 原子力発電技術は次のような特性を持つ。すなわち、原子力発電においてはそこで発出されるエネルギーは極めて膨大であるため、運転停止後においても電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならず、その間に何時間か電源が失われるだけで事故につながり、いったん発生した事故は時の経過に従って拡大して行くという性質を持つ。このことは、他の技術の多くが運転の停止という単純な操作によって、その被害の拡大の要因の多くが除去されるのとは異なる原子力発電に内在する本質的な危険である。

 したがって、施設の損傷に結びつき得る地震が起きた場合、速やかに運転を停止し、運転停止後も電気を利用して水によって核燃料を冷却し続け、万が一に異常が発生したときも放射性物質発電所敷地外部に漏れ出すことのないようにしなければならず、この止める、冷やす、閉じ込めるという要請はこの3つがそろって初めて原子力発電所の安全性が保たれることとなる。仮に、止めることに失敗するとわずかな地震による損傷や故障でも破滅的な事故を招く可能性がある。福島原発事故では、止めることには成功したが、冷やすことができなかったために放射性物質が外部に放出されることになった。また、我が国においては核燃料は、五重の壁に閉じ込められているという構造によって初めてその安全性が担保されているとされ、その中でも重要な壁が堅固な構造を持つ原子炉格納容器であるとされている。しかるに、本件原発には地震の際の冷やすという機能と閉じ込めるという構造において次のような欠陥がある。

5 冷却機能の維持にっいて

(1) 1260ガルを超える地震について

 原子力発電所地震による緊急停止後の冷却機能について外部からの交流電流によって水を循環させるという基本的なシステムをとっている。1260ガルを超える地震によってこのシステムは崩壊し、非常用設備ないし予備的手段による補完もほぼ不可能となり、メルトダウンに結びつく。この規模の地震が起きた場合には打つべき有効な手段がほとんどないことは被告において自認しているところである。

 しかるに、我が国の地震学会においてこのような規模の地震の発生を一度も予知できていないことは公知の事実である。地震は地下深くで起こる現象であるから、その発生の機序の分析は仮説や推測に依拠せざるを得ないのであって、仮説の立論や検証も実験という手法がとれない以上過去のデータに頼らざるを得ない。確かに地震は太古の昔から存在し、繰り返し発生している現象ではあるがその発生頻度は必ずしも高いものではない上に、正確な記録は近時のものに限られることからすると、頼るべき過去のデータは極めて限られたものにならざるをえない。したがって、大飯原発には1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能である。むしろ、①我が国において記録された既往最大の震度は岩手宮城内陸地震における4022ガルであり、1260ガルという数値はこれをはるかに下回るものであること、②岩手宮城内陸地震は大飯でも発生する可能性があるとされる内陸地殻内地震であること、③この地震が起きた東北地方と大飯原発の位置する北陸地方ないし隣接する近畿地方とでは地震の発生頻度において有意的な違いは認められず、若狭地方の既知の活断層に限っても陸海を問わず多数存在すること、④この既往最大という概念自体が、有史以来世界最大というものではなく近時の我が国において最大というものにすぎないことからすると、1260ガルを超える地震大飯原発に到来する危険がある。

(2) 700ガルを超えるが1260ガルに至らない地震について

ア 被告の主張するイベントツリーについて

 被告は、700ガルを超える地震が到来した場合の事象を想定し、それに応じた対応策があると主張し、これらの事象と対策を記載したイベントツリーを策定し、これらに記載された対策を順次とっていけば、1260ガルを超える地震が来ない限り、炉心損傷には至らず、大事故に至ることはないと主張する。

 しかし、これらのイベントツリー記載の対策が真に有効な対策であるためには、第1に地震津波のもたらす事故原因につながる事象を余すことなくとりあげること、第2にこれらの事象に対して技術的に有効な対策を講じること、第3にこれらの技術的に有効な対策を地震津波の際に実施できるという3つがそろわなければならない。

イ イベントツリー記載の事象について

 深刻な事故においては発生した事象が新たな事象を招いたり、事象が重なって起きたりするものであるから、第1の事故原因につながる事象のすべてを取り上げること自体が極めて困難であるといえる。

ウ イベントツリー記載の対策の実効性について

 また、事象に対するイベントツリー記載の対策が技術的に有効な措置であるかどうかはさておくとしても、いったんことが起きれば、事態が深刻であればあるほど、それがもたらす混乱と焦燥の中で適切かつ迅速にこれらの措置をとることを原子力発電所の従業員に求めることはできない。特に、次の各事実に照らすとその困難性は一層明らかである。

 第1に地震はその性質上従業員が少なくなる夜間も昼間と同じ確率で起こる。突発的な危機的状況に直ちに対応できる人員がいかほどか、あるいは現場において指揮命令系統の中心となる所長が不在か否かは、実際上は、大きな意味を持つことは明らかである。

 第2に上記イベントツリーにおける対応策をとるためにはいかなる事象が起きているのかを把握できていることが前提になるが、この把握自体が極めて困難である。福島原発事故の原因について国会事故調査委員会地震の解析にカを注ぎ、地震の到来時刻と津波の到来時刻の分析や従業員への聴取調査等を経て津波の到来前に外部電源の他にも地震によって事故と直結する損傷が生じていた疑いがある旨指摘しているものの、地震がいかなる箇所にどのような損傷をもたらしそれがいかなる事象をもたらしたかの確定には至っていない。一般的には事故が起きれば事故原因の解明、確定を行いその結果を踏まえて技術の安全性を高めていくという側面があるが、原子力発電技術においてはいったん大事故が起これば、その事故現場に立ち入ることができないため事故原因を確定できないままになってしまう可能性が極めて高く、福島原発事故においてもその原因を将来確定できるという保証はない。それと同様又はそれ以上に、原子力発電所における事故の進行中にいかなる箇所にどのような損傷が起きておりそれがいかなる事象をもたらしているのかを把握することは困難である。

 第3に、仮に、いかなる事象が起きているかを把握できたとしても、地震により外部電源が断たれると同時に多数箇所に損傷が生じるなど対処すべき事柄は極めて多いことが想定できるのに対し、全交流電源喪失から炉心損傷開始までの時間は5時間余であり、炉心損傷の開始からメルトダウンの開始に至るまでの時間も2時間もないなど残された時間は限られている。

 第4にとるべきとされる手段のうちいくつかはその性質上、緊急時にやむを得ずとる手段であって普段からの訓練や試運転にはなじまない。運転停止中の原子炉の冷却は外部電源が担い、非常事態に備えて水冷式非常用ディーゼル発電機のほか空冷式非常用発電装置、電源車が備えられているとされるが、たとえば空冷式非常用発電装置だけで実際に原子炉を冷却できるかどうかをテストするというようなことは危険すぎてできようはずがない。

 第5にとるべきとされる防御手段に係るシステム自体が地震によって破損されることも予想できる。大飯原発の何百メートルにも及ぶ非常用取水路が一部でも700ガルを超える地震によって破損されれば、非常用取水路にその機能を依存しているすべての水冷式の非常用ディーゼル発電機が稼動できなくなることが想定できるといえる。また、埋戻土部分において地震によって段差ができ、最終の冷却手段ともいうべき電源車を動かすことが不可能又は著しく困難となることも想定できる。上記に摘示したことを一例として地震によって複数の設備が同時にあるいは相前後して使えなくなったり故障したりすることは機械というものの性質上当然考えられることであって、防御のための設備が複数備えられていることは地震の際の安全性を大きく高めるものではないといえる。

 第6に実際に放射性物質が一部でも漏れればその場所には近寄ることさえできなくなる。

 第7に、大飯原発に通ずる道路は限られており施設外部からの支援も期待できない。

エ 基準地震動の信頼性について

 被告は、大飯原発の周辺の活断層の調査結果に基づき活断層の状況等を勘案した場合の地震学の理論上導かれるガル数の最大数値が700であり、そもそも、700ガルを超える地震が到来することはまず考えられないと主張する。しかし、この理論上の数値計算の正当性、正確性について論じるより、現に、全国で20箇所にも満たない原発のうち4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が平成17年以後10年足らずの問に到来しているという事実を重視すべきは当然である。地震の想定に関しこのような誤りが重ねられてしまった理由については、今後学術的に解決すべきものであって、当裁判所が立ち入って判断する必要のない事柄である。これらの事例はいずれも地震という自然の前における人間の能力の限界を示すものというしかない。本件原発地震想定が基本的には上記4つの原発におけるのと同様、過去における地震の記録と周辺の活断層の調査分析という手法に基づきなされたにもかかわらず、被告の本件原発地震想定だけが信頼に値するという根拠は見い出せない。

オ 安全余裕について

 被告は本件5例の地震によって原発の安全上重要な施設に損傷が生じなかったことを前提に、原発の施設には安全余裕ないし安全裕度があり、たとえ基準地震動を超える地震が到来しても直ちに安全上重要な施設の損傷の危険性が生じることはないと主張している。

 弁論の全趣旨によると、一般的に設備の設計に当たって、様々な構造物の材質のばらつき、溶接や保守管理の良否等の不確定要素が絡むから、求められるべき基準をぎりぎり満たすのではなく同基準値の何倍かの余裕を持たせた設計がなされることが認められる。このように設計した場合でも、基準を超えれば設備の安全は確保できない。この基準を超える負荷がかかっても設備が損傷しないことも当然あるが、それは単に上記の不確定要素が比較的安定していたことを意味するにすぎないのであって、安全が確保されていたからではない。したがって、たとえ、過去において、原発施設が基準地震動を超える地震に耐えられたという事実が認められたとしても、同事実は、今後、基準地震動を超える地震大飯原発に到来しても施設が損傷しないということをなんら根拠づけるものではない。

(3) 700ガルに至らない地震について

ア 施設損壊の危険

 本件原発においては基準地震動である700ガルを下回る地震によって外部電源が断たれ、かつ主給水ポンプが破損し主給水が断たれるおそれがあると認められる。

イ 施設損壊の影響

 外部電源は緊急停止後の冷却機能を保持するための第1の砦であり、外部電源が断たれれば非常用ディーゼル発電機に頼らざるを得なくなるのであり、その名が示すとおりこれが非常事態であることは明らかである。福島原発事故においても外部電源が健全であれば非常用ディーゼル発電機の津波による被害が事故に直結することはなかったと考えられる。主給水は冷却機能維持のための命綱であり、これが断たれた場合にはその名が示すとおり補助的な手段にすぎない補助給水設備に頼らざるを得ない。前記のとおり、原子炉の冷却機能は電気によって水を循環させることによって維持されるのであって、電気と水のいずれかが一定時間断たれれば大事故になるのは必至である。原子炉の緊急停止の際、この冷却機能の主たる役割を担うべき外部電源と主給水の双方がともに700ガルを下回る地震によっても同時に失われるおそれがある。そして、その場合には(2)で摘示したように実際にはとるのが困難であろう限られた手段が効を奏さない限り大事故となる。

ウ 補助給水設備の限界

 このことを、上記の補助給水設備についてみると次の点が指摘できる。緊急停止後において非常用ディーゼル発電機が正常に機能し、補助給水設備による蒸気発生器への給水が行われたとしても、①主蒸気逃がし弁による熱放出、②充てん系によるほう酸の添加、③余熱除去系による冷却のうち、いずれか一つに失敗しただけで、補助給水設備による蒸気発生器への給水ができないのと同様の事態に進展することが認められるのであって、補助給水設備の実効性は補助的手毅にすぎないことに伴う不安定なものといわざるを得ない。また、上記事態の回避措置として、イベントツリーも用意されてはいるが、各手順のいずれか一つに失敗しただけでも、加速度的に深刻な事態に進展し、未経験の手作業による手順が増えていき、不確実性も増していく。事態の把握の困難性や時間的な制約のなかでその実現に困難が伴うことは(2)において摘示したとおりである。

エ 被告の主張について

 被告は、主給水ポンプは安全上重要な設備ではないから基準地震動に対する耐震安全性の確認は行われていないと主張するが、主給水ポンプの役割は主給水の供給にあり、主給水によって冷却機能を維持するのが原子炉の本来の姿であって、そのことは被告も認めているところである。安全確保の上で不可欠な役割を第1次的に担う設備はこれを安全上重要な設備であるとして、それにふさわしい耐震性を求めるのが健全な社会通念であると考えられる。このような設備を安全上重要な設備ではないとするのは理解に苦しむ主張であるといわざるを得ない。

(4) 小括

 日本列島は太平洋プレート、オホーツクプレート、ユーラシアプレート及びフィリピンプレートの4つのプレートの境目に位置しており、全世界の地震の1割が狭い我が国の国土で発生する。この地震大国日本において、基準地震動を超える地震大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しにしかすぎない上、基準地震動に満たない地震によっても冷却機能喪失による重大な事故が生じ得るというのであれば、そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設のあり方は原子力発電所が有する前記の本質的な危険性についてあまりにも楽観的といわざるを得ない。

6 閉じ込めるという構造について(使用済み核燃料の危険性)

(1) 使用済み核燃料の現在の保管状況

 原子力発電所は、いったん内部で事故があったとしても放射性物質原子力発電所敷地外部に出ることのないようにする必要があることから、その構造は堅固なものでなければならない。

 そのため、本件原発においても核燃料部分は堅固な構造をもつ原子炉格納容器の中に存する。他方、使用済み核燃料は本件原発においては原子炉格納容器の外の建屋内の使用済み核燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれており、その本数は1000本を超えるが、使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたときこれが原子力発電所敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。

(2) 使用済み核燃料の危険性

 福島原発事故においては、4号機の使用済み核燃料プールに納められた使用済み核燃料が危機的状況に陥り、この危険性ゆえに前記の避難計画が検討された。原子力委員会委員長が想定した被害想定のうち、最も重大な被害を及ぼすと想定されたのは使用済み核燃料プールからの放射能汚染であり、他の号機の使用済み核燃料プールからの汚染も考えると、強制移転を求めるべき地域が170キロメートル以遠にも生じる可能性や、住民が移転を希望する場合にこれを認めるべき地域が東京都のほぼ全域や横浜市の一部を含む250キロメートル以遠にも発生する可能性があり、これらの範囲は自然に任せておくならば、数十年は続くとされた。

(3) 被告の主張について

 被告は、使用済み核燃料は通常40度以下に保たれた水により冠水状態で貯蔵されているので冠水状態を保てばよいだけであるから堅固な施設で囲い込む必要はないとするが、以下のとおり失当である。

ア 冷却水喪失事故について

 使用済み核燃料においても破損により冷却水が失われれば被告のいう冠水状態が保てなくなるのであり、その場合の危険性は原子炉格納容器の一次冷却水の配管破断の場合と大きな違いはない。福島原発事故において原子炉格納容器のような堅固な施設に囲まれていなかったにもかかわらず4号機の使用済み核燃料プールが建屋内の水素爆発に耐えて破断等による冷却水喪失に至らなかったこと、あるいは瓦礫がなだれ込むなどによって使用済み核燃料が大きな損傷を被ることがなかったことは誠に幸運と言うしかない。使用済み核燃料も原子炉格納容器の中の炉心部分と同様に外部からの不測の事態に対して堅固な施設によって防御を固められてこそ初めて万全の措置をとられているということができる。

イ 電源喪失事故について

 本件使用済み核燃料プールにおいては全交流電源喪失から3日を経ずして冠水状態が維持できなくなる。我が国の存続に関わるほどの被害を及ぼすにもかかわらず、全交流電源喪失から3日を経ずして危機的状態に陥いる。そのようなものが、堅固な設備によって閉じ込められていないままいわばむき出しに近い状態になっているのである。

(4) 小括

 使用済み核燃料は本件原発の稼動によって日々生み出されていくものであるところ、使用済み核燃料を閉じ込めておくための堅固な設備を設けるためには膨大な費用を要するということに加え、国民の安全が何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しのもとにかような対応が成り立っているといわざるを得ない。

7 本件原発の現在の安全性

 以上にみたように、国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。

8 原告らのその余の主張について

 原告らは、地震が起きた場合において止めるという機能においても本件原発には欠陥があると主張する等さまざまな要因による危険性を主張している。しかし、これらの危険性の主張は選択的な主張と解されるので、その判断の必要はないし、環境権に基づく請求も選択的なものであるから同請求の可否についても判断する必要はない。

 原告らは、上記各諸点に加え、高レベル核廃棄物の処分先が決まっておらず、同廃棄物の危険性が極めて高い上、その危険性が消えるまでに数万年もの年月を要することからすると、この処分の問題が将来の世代に重いつけを負わせることを差止めの理由としている。幾世代にもわたる後の人々に対する我々世代の責任という道義的にはこれ以上ない重い問題について、現在の国民の法的権利に基づく差止訴訟を担当する裁判所に、この問題を判断する資格が与えられているかについては疑問があるが、7に説示したところによるとこの判断の必要もないこととなる。

9 被告のその余の主張について

 他方、被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

 また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

10 結論

 以上の次第であり、原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者(別紙原告目録1記載の各原告)は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。

福井地方裁判所民事第2部

 裁判長裁判官 樋口英明

    裁判官 石田明

    裁判官 三宅由子

 

ふたたび再開、まずは沖縄です。

9月14日、沖縄県翁長知事は正式に辺野古埋め立て承認の取り消しを表明しました。それ以降、今日までの経過をお送りします。

 

・9/14沖縄県翁長知事、辺野古埋め立て承認の取り消しを表明。「取り消すべき瑕疵があると認められた」「政府は沖縄の意見を取り入れる姿勢はなかった」

・9/14米国防総省・デービス報道部長、「日米両政府の移設計画に変更はない」

・9/15沖縄県選出野党国会議員(5人)全員が翁長知事の「埋めてて許可取り消し」を支持。

・9/15ワーク・米国防副長官、「辺野古移設は沖縄米軍再編に不可欠」

・9/17防衛相沖縄防衛局、沖縄県翁長知事の埋め立て承認取り消しに関する意見聴取に「応じない」と県に回答した。前知事の埋め立て承認に瑕疵はない、とすることが理由。

・9/19辺野古、キャンプシュワブ前の移設反対テントが襲撃される。襲撃犯3人逮捕。

・9/21ジュネーブ国連欧州本部シンポジウムで翁長知事は「県民の自由と平等と民主主義が無視され、自己決定権がないがしろにされている」と訴えた。

国連人権理事会の演説では「沖縄県内の米軍基地は、米軍に強制徴用されたもので、自ら提供したものではない。米軍基地被害によって沖縄の人権は大きく影響を受けている。沖縄の自己決定権がないがしろにされている。自国民の自由、平等、人権、民主主義を守れない国が、世界の国々とその価値観を共有できるのか。日本政府は民意を一顧だにせず、基地建設を強行しようとしている。あらゆる手段で阻止する」とした。

ジュネーブ日本政府代表部・嘉治美佐子大使「辺野古移設計画は合法的に進められている。沖縄県民の理解を求める努力を続ける」

・9/25沖縄県辺野古埋め立て承認の取り消し手続きのため、28日に沖縄防衛局の意見聴取を実施する。政府は意見聴取ではなく、正式な「聴聞」をすべきと主張。

・9/28翁長沖縄県知事、沖縄防衛局からの法律上の聴聞を10月7日に行うと発表。沖縄県の非公式の意見聴取に沖縄防衛局が従わなかったため、行政手続法に基づく聴聞を実施することとなった。

・9/29米、国防関連法案で、普天間飛行場の移転に関し「辺野古が唯一の解決策」の文言を盛り込まず。

【2015/10】

・10/7沖縄県、沖縄防衛局に対する「聴聞」の場を県庁内に設置。沖縄防衛局は欠席。

・10/13沖縄県翁長知事、米軍普天間飛行場の移設先とされた名護市辺野古沖の埋め立て承認を取り消す。移設工事は中断。

・10/13米国務省・トナー報道官、記者会見で辺野古基地建設の行き詰まりを質問され、「日米両政府は引き続き辺野古移転に取り組む決意」と発言。

・10/14防衛相、政府・国土交通省行政不服審査法に基づく不服審査請求を行った。裁決が出るまでには通常数カ月かかるため、取り消しの効力をいったん止める執行停止も同時に申し立てた。

・10/16沖縄県翁長知事、国土交通省沖縄県の埋め立て承認取り消しを「無効」とした場合、県は第三者機関の「国地方係争処理委員会」に審査を申し出る方針。全国3例目。

・10/19朝日新聞取材、国の「普天間飛行場代替施設建設事業にかかわる環境監視委員会(環境委員会)」の13人の委員のうち、4人が辺野古護岸工事や環境調査関係シンクタンクから寄付金、報酬を受けていることが情報公開請求等で判明した。官邸側は「問題はない」とした。

・10/20辺野古新基地建設受注業者の建設環境コンサルタント「いであ」が、「環境監視委員会」の運営業務も随意契約で受注していた。2012年以降のへの新基地関係事業は、ジュゴンサンゴ礁の調査など10件以上約30億円分、環境監視委員会運営業務は約2400万円の随意契約。契約期限後の今年9月以降も共同企業体で約5000万円の随意契約をしている。

 翁長知事「環境保全をやっていたかどうか、県民は納得できない。業者と委員の関係も国に説明を求めていく」

 官邸側は防衛庁に事実関係を確認するよう指示。菅官房長官「癒着などの疑念を持たれるようなことは避けるべき」ただし「これまでの議論は公明正大に行われている」「この問題が新基地建設に影響を与えることはない」とした。

・10/20島尻沖縄北方担当相、内閣府沖縄県翁長知事と会談。沖縄振興で協力することを確認。

・日米両政府、沖縄海兵隊グアム移転協定に基づき、テニアン島に整備する訓練観覧施設設計費として12億円負担することを確認。協定では、最大28億円まで負担すると決まっている。

・10/21沖縄県翁長知事、国交省に対して辺野古埋め立て承認取り消しの正当性を訴える「意見書」と「答弁書」を送付。それぞれ約950頁、内容はほぼ同様。①行政不服審査法は国民を救済することを目的とし、政府が県に対して行うことは法の趣旨に反する。②県内移設の地理的必然性が認められない。③環境保全があいまい。…などが論点。

・10/22中谷防衛相、記者会見で国の有識者委員会メンバーが業者から寄付を受けていた問題で、「移設作業には影響ない」「中立、公平な立場で議論されている」と発言。

・10/23菅官房長官記者会見、「辺野古・久辺三地区(辺野古、豊原、久志)は移設工事が行われている場所で、何ができるか検討する」、中谷防衛相「辺野古移設で大きな負担をかける久辺三地区に生活環境の保全、向上、地域振興にできるだけ配慮する」とし、名護市を通さずに振興費を支出する検討を始めた。琉球大学・我部教授「法治国家とは言えない行為」

・10/23元沖縄県幹部・志村恵一氏が、2016年1月24日の宜野湾市長選挙に、「辺野古移設反対」の立場で立候補する。

・10/23九州大・木佐茂男教授ら行政法研究者93人が、「(不服審査法に基づく対抗措置)政府の手法は国民の権利救済制度の乱用であり、不公正」とする声明を出した。

・10/26政府、辺野古・久辺三地区(辺野古、豊原、久志)の区長と懇談。菅官房長官「皆様の今後の生活の向上、地域の振興に関し、できるだけ配慮するのは当然だ」、三区長「防災備蓄倉庫、地区会館の修繕、芝刈り機の購入、東屋の整備」など要求。

 井上沖縄防衛局長「地元の要望にきめ細かく対応する」

名護市・稲峰市長「やり方が普通じゃない。地方分権の無視だ。法治国家としてやることか」名護市には55区ある。

・10/27石井啓一国交省防衛省による沖縄県翁長知事の辺野古埋め立て工事承認取り消し処分に対する処分効力の執行停止の申し立てを承認、決定した。さらに、地方自治法により仲井間前知事の承認を復活させる「代執行」の手続きを開始する決定をした。

・10/28沖縄防衛局、辺野古沖の埋め立て工事再開の届を沖縄県に提出。同時に翁長知事あてに、「承認取り消しの撤回を求める勧告書」も郵送。これに知事が従わなければ、国が変わって承認する代執行に向けて高等裁判所に提訴する予定。沖縄県側は、「国地方係争処理委員会」に審査を申し出る予定。

・10/28防衛相、辺野古移設関連事業を受注している業者を、沖縄「環境監視党委員会」の運営業務から外すことを決定。「疑念を抱かれる可能性がある」

・10/29沖縄防衛局、辺野古沖埋め立て本体工事強行着手。菅官房長官「仲井真前知事から埋め立て承認をいただいた。行政判断が下っている訳だから、その継続というかたちで進めている」、翁長沖縄県知事「法律的に最終的な判断が示されないまま工事が強行された。激しい憤りを禁じ得ない。沖縄の人々の気持ちに寄り添うと言いながら、そのような意思はみじんも感じられない」

・10/30菅官房長官、グアムで米太平洋海兵隊トゥーラン司令官と会談。沖縄海兵隊のグアム移転促進を要請し、普天間基地辺野古移設方針グアム移転費総額86億ドルのうち日本は28億ドルを負担。

【2015/11】

・11/2沖縄県翁長知事、国地方係争処理委員会に審査を申請。翁長知事、「国交省の決定は違法な関与行為だ」

・11/5中谷防衛相、辺野古沿岸部付近で石器、土器が見つかったが「(埋め立て事業は)事業として進める」「埋蔵文化財は関係法令に従い適切に対応する」と発言。

・11/6翁長知事、沖縄県の埋め立て承認取り消し処分に対する国(国土交通省)の撤回勧告を拒否する文書を石井国交大臣に送付。国の見解をただす質問状も添付。国の撤回勧告は、拒否を前提に、その際の「代執行」手続きを見越した措置。

 また翁長知事は、辺野古周辺の警備に「警視庁機動隊を投入し、なりふり構わず移設を強行しようとしている」と政府を批判した。菅官房長官法治国家として、法令に基づいて適切に対応していく」

・11/6菅官房長官辺野古3地区の振興費について「反対運動の違法駐車や騒音が激しく、住民の生活安定に対応していく必要がある。反対の嵐で3区周辺にたくさんの人が来て生活に影響が出ている。今までも騒音防止事業に対応している」と記者会見で語った。

・11/9石井国土交通相、翁長知事の承認取り消しを撤回するよう指示する文書を沖縄県に郵送した。6日の沖縄県翁長知事の撤回勧告拒否を受けたもの。撤回期限は3日以内となっていることから、回答期限は13日。

・11/10沖縄防衛局、辺野古沿岸部の海底ボーリング調査の再開に向け、クレーン作業船二隻を海上に搬入。

・11/11翁長知事記者会見、石井国交相の「沖縄県知事の埋め立て承認取り消しを撤回するよう求めた勧告を拒否する」ことを表明。

・11/13ラッセル米国務次官補、記者会見で「(辺野古移設は)日本の安全保障を担うとともに、地方政府と一緒に仕事をすることは日本政府の責任だ」「辺野古移設が実現可能な最善の解決策」

・11/13国地方係争処理委員会、初会合。国交省の決定が、地方自治法に規定する係争処理委員会の審査対象かどうかが当面の論点。

・11/17政府、沖縄県翁長知事の辺野古埋め立て承認取り消し処分の撤回する代執行に向けた訴訟を福岡高裁那覇支部に起こした。

・11//17沖縄辺野古の地元3区長、「条件付き容認」を否定。「基地に来てほしい人はいない」「容認したわけではない」「(久志区の)移設反対決議は生きている」

・11/22沖縄防衛局、辺野古沿岸にコンクリート製ブロックを雄積んだ作業船を搬入した。

・11/27政府は辺野古新基地建設予定地付近の久辺3区に3900万円の補助金を直接交付する新制度を創設した。

【新制度】

防衛相・在日米軍等中流関連諸経費を財源とする「再編関連特別地域支援事業補助金」として1町会最大1300万円補助。補助交付要綱に、新基地建設が実施されることを前提とした地域づくりが対象とある。

【2015/12】

・12/1沖縄県宜野湾市・佐喜真市長、官邸で菅官房長官普天間飛行場の早期閉鎖と返還の要請書を提出。菅官房長官「危険除去を実現するため全力で頑張る。沖縄の基地負担軽減に向けて目に見える形で実行に移す」島尻沖縄北方担当相、岸田外相、中谷防衛相とも会談。

・12/2沖縄県翁長知事の埋め立て承認取り消しを違法として国が求めた「代執行」訴訟第1回口頭弁論で翁長知事が意見陳述。「政府の強硬政策は米軍施政権下の時代と変わらない。日本に地方自治や民主主義があるのか。沖縄にのみ負担させる安保体制は正常なのかを国民に問う」とした。これに対して国は「法廷は議論の場ではなく、(一度決めた)行政処分の安定性は保護する必要がある。国家存亡にかかわる(辺野古移設)ことを知事が判断できるはずがない」と主張した。次回弁論は1月8日。

・12/4沖縄選出6国会議員に、辺野古移設受注業者が90万円の寄付。自民=国場幸之助宮崎政久比嘉奈津美西銘恒三郎大阪維新=下地幹朗。玉城デニー=生活。

・12/4日米両政府、嘉手納基地以南の米軍基地返還で普天間飛行場の約4ヘクタールなど一部返還。返還計画(1048haの1%以下)

・12/5辺野古埋め立て工事受注7業者が6議員・自民党沖縄県連に、1105万円寄付。

・12/6辺野古移設反対グループ、反対運動をまとめる「オール沖縄会議」を12月14日設立するとの記者会見。共同代表に、「金秀グループ」代表・呉屋守将会長、名護市稲嶺市長らが就任予定。

・12/8沖縄県辺野古新基地建設で、国を提訴する議案を議会に提出。

・12/10沖縄県議会、翁長知事の国を提訴するための議案提案。「国土交通大臣の(辺野古埋め立て取り消しの効力を止めた)決定は違法と考える。(5月県民大会・うしぇーてぃ、ないびらんどー「甘く見るな、見くびるな」)

・12/10「辺野古基金」5億円超える。76,647件・5億99万円

・12/14「辺野古新基地を作らせないオール沖縄会議」結成大会(宜野湾市)。1300人参加。

・12/15島尻沖縄・北方担当相、記者会見で「(辺野古移設問題で翁長知事と対立している影響が)沖縄振興予算に全くないとは考えていない」

・12/18防衛省辺野古の久辺3区の内、久志区を除く2区について新基地建設に賛同していることを前提とし、辺野古区に防災備蓄倉庫建設費として約1200万円、豊原区に区民グラウンド整備費として約1100万円を交付。「再編関連特別地域支援事業補助金

・12/18沖縄県議会本会議、辺野古移設阻止に向けた訴訟費用約1300万円を盛り込んだ補正予算を可決。

・12/19琉球新報松本剛編集局次長兼報道本部長、大阪で「沖縄は反米ではなく民主主義の価値を重んじている。地方自治の権限をはく奪し、はむかうメディアを押しつぶすような国の独善にどう立ち向かうのか、全国のメディアが問われている」と講演した。

・12/21政府、2016年度沖縄振興予算3350億円。(2016年度に比し10億円増)

 

朝日、読売、毎日、東京、日経、沖縄タイムス、琉球新報の元旦社説概要を掲載します。

2015年 1月1日 社説

【1.朝日新聞】 グローバル時代の歴史 「自虐」や「自尊」を超えて

・歴史の節目を意識する新年を迎えた。戦後70年、日韓基本条約50年の節目でもある。

・自虐や自尊といった中での歴史認識が課題。自国のみの歴史観では済まない時代に入っている。

・「グローバルヒストリー」(入江昭『歴史家が見る現代世界』)の重要性。もともと存在しない純粋な過去、例えば純粋な日本に置き換え歴史の物差しにすることは、歴史を神話にすり替えること。

・日本人、韓国人、中国人がナショナルヒストリーから離れられない現実が歴史認識の根本問題。

・グローバル時代にふさわしい歴史を考えようとするならば、歴史は国の数だけあっていいということにはならない。

・自国の歴史を相対化し、グローバル・ヒストリーとして過去を振り返る。難しいが挑戦すべき。

 

【2.読売新聞】 日本の活路を切り開く年に 成長力強化で人口減に挑もう

・デフレからの出口を見失うことなく、強固になった安倍政権は経済再生を最優先に、社会保障、外交・安全保障など一層強化すべき。

・戦後70年、団塊の世代が65歳以上となり人口減少など国力低下を防がなければならない。

・冷戦終結から四半世紀、国際秩序は新たな危機。米国の影響力低下、中国の台頭、国際テロ活動、グローバル経済の動揺など日本を脅かしている。

・内外ともに重要局面を迎え、平和で安定した国民生活の維持へ活路を開く節目の年に。

アベノミクスの補強を>

衆院選挙で有権者アベノミクス・与党に軍配を上げた。しかし、課題もありアベノミクス第3の矢である成長戦略の強化が急を要する。

・岩盤規制を打破し、産業の新陳代謝と規制改革を成長戦略の柱とすべきだがまだ不十分。農業、医療分野、原発再稼働、TPPなどが課題。

・企業も賃上げや雇用増を。企業減税の検討も。

<雇用充実が活力の源泉>

・人口減少、生産年齢人口の減少を前に、女性、高齢者の雇用、非正規労働者の処遇改善、地方の活性化で雇用増を。

社会保障制度改革も急務。医療、介護の公的支出の効率化を。

・国際的な信認を維持するためにも財政健全化を。

<台頭する中国に備えよ>

・ロシアのクリミヤ編入、イスラム国など国際秩序は混乱している。

・国際秩序が乱れることで日本の安全も損なわれる。中国の行動には警戒を怠れない。中国は依然として力による現状変更を目指している。

・中国経済は高度成長から安定成長への移行期にある。中国は日本の経験に学び、戦略的互恵関係を築くべきだが、産業構造の転換にともなう不満を対外強硬姿勢で乗り切ろうとするならば危険は増す。

・中国の動きに備え、集団的自衛権行使容認に踏まえ、切れ目のない安全保障体制は不可欠。

<欠かせぬ日米同盟強化>

・日米同盟強化と沖縄基地負担軽減のための辺野古移設は肝要。一部野党の反対も根強いが着実に進めるべき。

・戦後70年で歴史認識も問われる。慰安婦問題のいわれなき誤解を解く一方、首相の靖国参拝など中国や韓国に対日批判の口実を与えるような行動は慎みたい。

イスラム国などテロ対策での連携も強めるべき。

 

【3.毎日新聞】 脱・序列思考のすすめ 戦後70年 日本と東アジア

・戦後日本は、貧しかったが平和の中で屈託なく、希望に満ちていた。しかし戦後70年の今、得体の知れない不安と苛立ちが覆っている。

<強いアジアと向き合う>

・不安と苛立ちの原因は、中韓反日感情と日本の反中・嫌韓感情の衝突にあり、その背景には戦後70年で中国、韓国の国力が日本に迫り越えているという現実がある。

・日本は明治以来、遅れたアジアと距離を置き、欧米を手本に先進国を目指した。その結果、帝国主義軍国主義に陥り破滅を味わった。戦後は経済大国をめざし、一時アジアでトップとなった。

・しかし、中国と韓国の興隆は歴史の必然であり東アジアの力関係の変化を受け止め、立ち位置を見つめなおすことが必要。

・アジアの中の序列意識は時として他者を否定し自己を肯定する優越意識に陥りかねない。反中・嫌韓意識がヘイトスピーチ(憎悪表現)を生み出す。

<等身大の日本に誇りを>

・「世界の真ん中で輝く日本」(安倍首相)、「中華民族復興の夢」(習近平国家主席)がぶつかる構図は、時代遅れの盟主争いであり、東アジアの潜在力とダイナミズムを失わせる。

・対立を繰り返してきた欧州はEUで「平和の制度化」に成功した。序列よりも並列という意識が定着してきたことを学ぶべき。

・日本の役割りは「大国残存ナショナリズム」を振りかざすことではなく、優越主義のアジア観を排し、中国、韓国とともに東アジアの和解と連帯に取り組むことにある。

・国の力とは多元的なものであり、力と強さだけが尺度ではない。どの国にも誇りうるものがあり、序列思考の呪縛から解き放たれ、互いを尊重する新たな地平を築くことが本当の意味での戦後レジュームからの脱却と考える。

 

【4.東京新聞】 戦後70年のルネサンス 年のはじめに考える

・貧困、格差、独占資本、搾取という言葉が思い浮かぶグローバル経済の時代に対して、戦後70年の今年は人間回復のルネサンスにしたい。

・ピケティ「21世紀の資本」はグローバル経済を放置することによる(百年前の)格差の拡大に警告し、資産への累進課税や国際的なグローバル資産課税を提唱している。

・百年前、第一次世界大戦ロシア革命の時代、資産階級の富の奪い合いの中、貧困と格差が拡大した。

・一方英国ロイド・ジョージは、資産課税を強化し、南ア収奪のためのボーア戦争に反対し(「英国益」に反対)、非戦論を展開した。

・戦後、民主主義のもとで所得再分配機能や社会保障制度が整えられた時代だが、グローバル経済が(国益競争と称して)労働分配率を削減し、新帝国主義と排外主義を拡大している。

・資本中心から人間中心の社会を取り戻さなくてはならない。無理な成長を求めない定常型社会を。成長より社会の安定の価値観が肝心。

・戦後70年、「先の大戦を米国から強いられた『太平洋戦争』ではなく『大東亜戦争』と呼ぶべき(松本健一)」とは、米国との戦争に敗れたのではなく、中国への侵略戦争に敗れた、という認識を持つべきとの意味。

歴史認識の根底に、日本人は中国への侵略戦争に敗れたという理解はあるのか、と問いたい。

・戦争での新聞の痛恨事は、戦争を止めるどころか翼賛し煽り立てたこと。

・その反省に立ち、新聞もまた国民の立場に立ち、権力を監視する義務といわねばならぬことを主張し、その営みが歴史の評価にも耐えるものでありたい、と願う

 

【5.日本経済新聞】 戦後70年の統治のかたちづくりを

・2015年は戦後70年、歴史を振り返る節目の年である。

  自民党が結党して60年。日韓国交正常化から50年。先進国サミットから40年。プラザ合意から30年。世界貿易機関(WTO)から20年。京都議定書から10年。‥内政、外交、経済の枠組みができた。

<きしむ戦後の世界秩序>

・冷戦が終結し25年がたつ。民主主義と自由主義経済で、世界は米国を中心とした一極支配になるかと思われたが、中国の台頭などグローバル化が進み「Gゼロ」の時代となった。

グローバル化は一方で格差の一因にもなった。政治はナショナリズムをあおり、中露による新たな枠組みやイスラム国、スコットランドカタルーニャの独立運動など世界秩序はきしみだしている。

・経済も世界銀行、IMF体制など国際秩序がアジアインフラ投資銀行の設立の動きなどできしみだしている。

・そこで、米国を中心とするG7と新興国参加のシステム作りが必要となる。中国を排除した世界の枠組みはあり得ない。

・日本も新たな統治のかたちづくりが求められているが、自民党1強体制で国会のチェック機能は弱い。

<視線は過去より未来へ>

・保守的なイデオロギーが強い若手議員が多数を占めている中で、戦後70年の今、歴史問題への配慮が必要となる。戦争への反省を踏まえ、平和国家としての70年の歩みを改めて確認すべき。日露戦争後の日本を憂えた朝河貴一元エール大教授「日本国民はその必要の武器たるべき、健全なる国民的反省力を未だ研磨せざるなり(日本の過機)」から1世紀、反省力を研磨したであろうか。

 

【6.沖縄タイムス】 「戦後70年の分水嶺」暮らしと平和守り抜く

・鉄の暴風から70年、沖縄、日本社会は将来を決定づける重要な分水嶺を迎えている。日本社会は、第一に経済格差、第二に世代間の亀裂、第三に都市と地方の亀裂という三つの社会的亀裂(佐々木毅東大名誉教授)で分断化が進んでいるといわれるが、沖縄とヤマト(政府)の亀裂も深刻である。

・昨年の名護市長占拠、県知事選挙、衆議院選挙辺野古移設反対派が勝利した。沖縄の戦後体験に根ざした、非暴力抵抗運動としての民意である。辺野古や高江の座り込み、普天間ゲート前抗議行動は保革の枠を超える新しい運動。

・「沖縄に寄り添う」(安倍首相)なら、埋め立て工事計画を中止し話し合いをすべきである。しかし政府は、翁長新知事の会談申し入れを無視し沖縄振興予算の削減をちらつかせ、埋め立て工事の再開の構えを見せている。牙をむいて沖縄県民に襲いかかろうとしている。沖縄差別そのものであり、代表制民主主義の否定。

・翁長知事には、戦後70年の劈頭に立って「平和とくらしを守り抜く」というメッセージを発信すると同時に、県内外の専門家も含めた応援団の形成、ネットワークづくりが急務。

 

【7-1.琉球新報】 2014年回顧 新たな時代の幕が開いた 犠牲拒む意思を示した年

・「オール沖縄」を標榜した翁長知事が誕生した。新たな幕開けを示す歴史的な意義がある。

<自決権回復の試み>

名護市長選、県知事選、衆議院選すべてに移設反対派が勝利した。これらの意思表示は自己決定権の回復宣言でもある。

・これは単なる現状変更の要求ではない。琉球王国時代から太平洋戦争、サンフランシスコ講和条約といった、沖縄を「質草」扱いしてきた史実に踏まえた意思表示。不可逆的で後戻りできない要求。

・「移設を粛々と進める」(菅官房長官)は明らかに沖縄の(民意を)軽く見ている。

沖縄県民の闘いは国際社会から見ても正当な闘い。

・沖縄の自己決定権回復の歩みはこれからが本番。着実に前進を。

【7-2.琉球新報】 新年を迎えて 未来への責任自覚を 「豊かな沖縄」起点の年に

・自己決定権を行使した「移設の」の民意を背景に、「豊かな沖縄」を実現する責任を自覚したい。

<反省の継承必要>

・「戦争の世紀」20世紀が終わって15年だが、世界平和には程遠い。70年前の戦争の反省を継承し、集団的自衛権行使容認に異を唱えるべき。

・政府を翻意させられるか、翁長県政の正念場を迎える。

<困難にも果敢に>

・沖縄の将来にとって、自然を破壊する基地は整理縮小が必要。ユニバーサルスタジオジャパン名護市)、外航航路、国際航路による貨物事業の拡大、ハブ化等「アジアの玄関口」に近づいた。

・豊かな沖縄へと着実に歩みを