研究員のひとりごと

東京自治研究センター研究員のブログ

2014年を迎え「研究員のひとりごと」を再開します。

2014年を迎え「研究員のひとりごと」を再開します。

 

 関東地方は穏やかな新年を迎えました。そして今年は平成26年、昭和から平成に変わり既に25年、平成の時代も四半世紀の時を刻んだことになります。昭和生まれで昭和育ちの私にとって、「平成」という響きに歴史としての重みはさほど感じていなかったのですが、一方では、昨今の政治状況もあって、四半世紀という単位の歴史の歯車が軋みあう音が聞こえてくるような気がします。

 

 振り返ってみると、25年前の1989年はベルリンの壁が崩壊し世界体制の枠組みが大きく変わり始め、国内的には、初めて消費税3%がスタートし、労働界も総評解散、連合発足という再編がされました。

さらに25年前の1964年はトンキン湾事件ベトナム戦争が本格化するとともに東京オリンピックもこの年に開催されました。

もう25年前の1939年はナチス・ドイツがポーランドへ侵攻し第二次世界大戦が勃発。100年前の1914年は第一次世界大戦がはじまった年です。ちなみに125年前の1889年は明治憲法皇室典範が発布されています。

こうしてみると、明治・大正・昭和そして平成の25年を含めた日本の「近代化」は前半が軍事力基軸で、後半は経済力基軸で成し遂げられたように見えてきます。

2014年を迎え、この時代を読み解くうえで、歴史を多少大きく俯瞰してみていく必要があるのではないか。―そんな気持ちで四半世紀単位の「新年」を考えてみました。

 

そこで昨年末、共同通信の世論調査が実施されたところから話を始めます。

世論調査というと内閣支持率とか政党支持率が話題の中心になりますが、もちろんそうした項目も調査対象でしたが、同時に実施された靖国問題や沖縄米軍基地問題について、日本社会の歴史認識や戦後史の見方について考えさせられる結果が示されました。

具体的には、安倍首相の靖国神社参拝を「よかった」とするが43%、靖国参拝に対して中国、韓国はもとよりロシアや米国からも懸念の声明が出されていることに対して「配慮する必要はない」が25%、「A級戦犯の分祀はしない方がよい(今のままでよい)34%、「沖縄・普天間基地辺野古移設」に賛成が50%、「沖縄県仲井真知事の辺野古埋め立て承認を評価する」が56%となっている点です。

靖国」問題については多くは触れませんが、前段で「日本の近代化は、前半において軍事力を基軸に成し遂げられた」と記したその軍事力を担い戦死した軍人・関係者が祀られているのが「靖国」です。そして日本はこの「軍事力による近代化」に失敗し、二度とそうした選択はしないということで連合国をはじめとする国際社会に復帰し、戦後の経済発展を実現しました。

あらゆる戦争、軍事行為には「理」がないと言い切れないかもしれませんが、日本近代化の前半における軍事は「侵略」以外の何物でもありません。間違っても「防衛」ではありません。ということは、軍事の向こう側には、理不尽な被害を受け命と財産を暴力的に奪われた多くの人々が存在し、その歴史が今も息づいている訳です。

首相の靖国参拝を肯定し、他国の「非難」に耳を傾けず、国際社会で戦争犯罪人として処刑された戦争指導者も「尊崇の念で慰霊する」方がよいとする考え方が1/3程度日本社会に存在するということに、かつての戦争を肯定するかのような危惧の念を抱かざるを得ません。

沖縄米軍基地問題も、ある種同根です。ヤマトは沖縄地上戦で沖縄を本土決戦の「捨て石」に、サンフランシスコ講和条約で沖縄を米軍統治のまま「切り捨て」し、復帰後も米軍基地の固定化という「踏み台」にして経済成長を続けてきました。ヤマト、つまり[本土]は沖縄の犠牲の上に成り立つ差別者の歴史を刻んできました。これが歴史です。

辺野古への米軍基地建設に賛成し、そのための県知事の埋立承認を評価する世論が1/2に達するという現実は、都合の悪いことは忘れ、踏まれた者の痛みは分からない差別者の構造を感じます。

 

平成の四半世紀が、これまで積み上げてきた明治・大正・昭和の四半世紀の中でどう考えるべきか、例年より多少長い正月休みで考えてみました。

 

そこで今回の「ひとりごと」…「近代化、経済発展の中に潜む魔物を、近代化と経済発展の象徴でもある東京政策の中からあぶりだしていく作業が問われているのではないか」・・・今年のテーマとして考えたいと思っております。

 

前置きが長くなりましたが、多少説明を要する「研究員のひとりごと」と思ってご容赦のほどお願いいたします。