玉城沖縄県議会議員講演要旨を掲載します。
沖縄県議会議員・「島ぐるみ会議」事務局 玉城義和講演要旨
*「島ぐるみ会議」=沖縄建白書の実現をめざし未来を拓く島ぐるみ会議
■2014/11/28 午後6時30分 田町交通ビル6階ホール
■主催/沖縄と連帯する東京集会実行委員会主催
沖縄県知事選挙では、現職の仲井間候補に対して翁長雄志候補が10万票の大差で勝利した。宮古・八重山地区以外の市で翁長雄志候補が勝利した。この勝利は、一言で言って選挙運動から県民運動へ質が変わったことを意味している。沖縄の歴史に残る県知事選挙といえるだろう。捕獲の対決落ちった従来の枠組みではなく、沖縄の自立に向けた1968年の首席公選制も選挙以来の大きな意味を持つ。
具体的には5つの意味があると思う。
第1に、自主決定権という意味である。地方自治体の選挙にはない言葉だが、1609年の薩摩の侵攻、1872年の琉球処分、1945年の沖縄戦以降の沖縄の扱いなど、沖縄は常に踏み付けにされてきた。今回の辺野古新基地建設問題もそうした歴史に通じる日本政府の動きとして受け止められ、それに対して沖縄県民が自分たちの意思を示したということである。
第2に、誇りと尊厳の問題である。今年初めの名護市長選挙で辺野古新基地建設に反対する稲嶺市長が当選したが、今回の県知事選挙の中で、名護市民から「ありがとう」と言われた。一方、総選挙では当時の自民党・石破幹事長が金をばらまく話をして自民党議員に辺野古容認に向けた圧力をかけ、仲井間知事も公約を裏切った。これが沖縄県民の誇りと尊厳を傷つけた。
第3に、イデオロギーよりアイデンティティーということである。沖縄県民に共通するアイデンティティー、歴史の共有、平和と経済を対立させたり秤にかけたりするのではなく、アイデンティティーを持った政治の実現が求められた。
第4に、米軍基地は沖縄の発展の阻害要因であるということだ。数字的なデーターもそれを物語っている。吉は雇用も収益も生み出さない。翁長雄志新知事も「安保条約は認めるが沖縄への過重な米軍基地は認めない。沖縄にとってマイナスである」と言い切っている。その意味では21世紀の安全保障のあり方について、また基地被害、地位協定の矛盾などこれを契機に議論を深めるべきである。
第5に、オール沖縄になったという大きな意義がある。昨年1月の沖縄建白書は復帰前の屋良時代の建議書を思い浮かべて起草した。「島国会議派」は1万人の会員を目標にしている。これは、「辺野古がだめなら普天間が固定化する」という本土の恫喝に屈することなく、本土の冷たい世論に対して沖縄から逆オルグするような意味もある。本土はしっかり受け止めるべきだ。
翁長雄志新知事が辺野古に基地をつくらせないとする具体的な対応がいろいろ言われているが、そうした法律論的な戦術ではなく、沖縄県民の民意を尊重させていく運動と世論が大切だと思っている。そのためにもオール沖縄は崩さない。
総選挙では、基地建設推進派の自民党議員に対して、4選挙区すべてに「島ぐるみ会議」が推薦する辺野古基地建設反対派候補を立て、勝利することが次の課題だ。
以上、文責東京自治研究センター研究員・藤岡一昭
川内原発、自治体合意で再稼働か 原子力規制委員会「適合」判断
7月16日原子力規制委員会は定例会合で、九州電力川内原発1,2号機(鹿児島県薩摩川内市久見崎町)について原発の新規制基準を満たしているとする判断を下した。安倍政権は規制委員会の基準を満たせば、それを根拠に地元自治体の合意で再稼働する考え方である。
しかし周辺住民の避難計画は規制委員会の審査対象外であり、原発そのものについても①過酷事故の際、格納容器の圧力を下げるためのフィルター付きベントが未設置。②事故対応にあたる作業拠点は未完成。③制御室が使用不能となった場合に使う第二制御室も未完成。…など見切り発車状態にある。火山想定なども未知数のままである。
規制委員会の「安全基準」は、従来の基準を上乗せして作っただけで、福島原発事故の原因さえ明確にされていない中での規制委員会の対応と政府の動きは、再稼働を前提とした出来レースと言わざるを得ない。。
原子力規制委員会田中委員長は「どんな考え方で基準を作り、同審査し判断したかを言うだけ」で、再稼働の判断は「事業者と地域住民、政府の関係者が決めること。規制委員会は関与しない」と述べた。事実上の再稼働への「お墨付き」を与えておきながら、「堂々たる責任回避」である。新原子力ムラ誕生の瞬間かもしれない。
そして最終的な原発再稼働は、政府の支援なしには生きていけない『弱い弱い地元自治体』の意見ということになる。意見というより合意の強制なのかもしれない。住民の命や子どもたちへ引き継ぐべき大地より、目先の食い扶持を餌に、不本意な選択を強制されるのである。罪作りな安倍政権であり、日本社会の冷たさを感じる。
福井地裁の「大飯原発運転差し止め判決」が踏みにじられる思いである。
ところで、この事態に新聞各紙はどう反応しているのだろうか?おおよその察しはつくが、改めて17日付社説を掲載する。
【7月17日各紙社説】
・原発事故が投げかけた日本の社会と政治全体への問いかけに答えぬまま、再稼働をめぐる議論が原発の性能をめぐる技術論に狭められた。
・原発事故がいまだ収束していない中での暴挙。
・阿部政権は規制委の審査が安全確保のすべてであるかのような姿勢である。
・火山噴火対策も確証がなく、不十分。新基準への適合は決して「安全宣言」ではない。
・避難計画が描けていない。政府は住民の避難を自治体に丸投げしている。
・防災重点区域が30キロ圏内に広げられたにもかかわらず、再稼働への発言権は立地自治体だけというのはおかしい。
・(朝日新聞は)社説で「原発ゼロ社会」を提言し、実際原発がすべて止まっても混乱していない。
・福井地裁判決の、「豊かな国土に国民が根を下ろした生活が国富」であり、エネルギー政策は経済の観点だけでは語れない。最終処分問題も含め議論せずに再稼働を進めてはならない。
読売新聞 川内原発「合格」 再稼働への課題をこなそう
・原子力発電所の再稼働に向けて前進したが、実現への課題も多い。地元の同意取り付けなどを着実に進めることが重要である。
・新規制基準は、東京電力福島第一原発事故を踏まえ、厳格な安全対策を求めている。川内原発が国内の原発として初めて新基準をクリアし、安全性が確認された意義は大きい。
・九電は、備えるべき津波の高さを従来の1・5倍、地震の強度は1・15倍に引き上げた。これに基づいて、浸水対策や設備の耐震補強を進める。
・もう一点は、福島第一原発事故のような冷却機能の喪失による重大事故を防ぐため、どのような対策を取るかである。非常用電源の増設や取水ポンプの補強、冷却用配管の多重化などの対応策が評価された。
・地元自治体の理解を得ることも重要だ。川内原発の安全性と再稼働の必要性について、九電はもとより、政府が責任をもって関係者に説明すべきである。
・万一、事故が起きた場合の避難計画についても、住民への周知徹底が求められる。
・川内原発の審査書案は、事故対策の審査経緯を詳しく記述している。これを参考に、電力会社は的確な審査準備に努めてほしい。
・一方、地震や津波の想定に関する判断の理由は、ほとんど記述されていない。規制委は根拠を明示する責任があるのではないか。
電力供給は綱渡りで、料金高騰が生活と産業を直撃している。安全審査を加速させ、原発の再稼働を軌道に乗せねばならない。
・九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)について原子力規制委員会がまとめた審査書案は、事実上の「審査合格」を意味する。
・新規制基準に基づく川内原発の再稼働は、過酷事故を経て、日本が再び「原発を活用する国」に戻る転換点となる。
・私たちはこれまで、原発に頼らない社会をできる限り早く実現すべきだと主張してきた。
・一方で、そこに至る過程で、必要最小限の原発再稼働を否定するものではない。
・ただし、条件がある。福島の教訓を徹底的に学び取り、過酷事故を防ぐと同時に、再び事故が起きても住民の被害を食い止める手立てを整えておくこと。さらには、政府が脱原発依存の道筋を描いた上で、エネルギー政策全体の中に原発の再稼働を位置付けることだ。
・いずれの点でも、現状で川内原発の再稼働は合格とは言えない。このままでは、原発の安全神話の復活につながる懸念が大きい。
・福島第1原発事故後、政府は事故に備えた重点対策区域を原発から8〜10キロ圏から30キロ圏に拡大した。ところが、第5層の防災対策は災害対策基本法で自治体任せにされ、規制委の審査対象から外れている。
・県は10キロ圏までの避難計画を公表したが、伊藤祐一郎知事は「30キロ圏までの要援護者の避難計画は現実的ではない」と発言した。対象となる要援護者の数が増え、避難手段や受け入れ先の確保が難しいことが背景にある。これは、他の原発立地地域にも共通する課題だ。これでは、防災対策は置き去りにされていると言わざるを得ない。
・「基準さえ満たしていれば十分」との姿勢は福島の事故後、海外からも非難されたことを忘れてはならない。
・さらに大きな問題は、政府が「原発依存をできる限り低減する」としながら、その道筋を示さずに再稼働を進めようとしていることだ。
日本経済新聞 川内再稼働へ国は避難計画で責任果たせ
・原子力発電所の「稼働ゼロ」の解消へ前進といえるが、再稼働にはなお多くの課題が残っている。
・審査書案自体は妥当だろう。基準の大枠を満たしているといえる。
・だが審査合格は再稼働の必要条件のひとつにすぎない。再稼働には地元の自治体や住民の理解が欠かせない。安倍政権は安全性が確認できた原発の再稼働について「国が前に出て地元の理解を得る」とした。電力会社まかせにせず、国がやるべきことは多い。
・まず規制委の説明責任は重い。鹿児島県や地元市町は住民向けの説明会を予定している。そうした場に委員が出向き、審査経過を丁寧に説明するのは当然だ。
・政府も再稼働がなぜ必要か、国民に説明を尽くすべきだ。事故が起きることも想定し、被害を最小にする態勢づくりも国の責任だ。
・福島の事故後、原発30キロ圏内の自治体は防災計画が義務づけられ、川内では周辺9市町すべてが計画をつくった。だが高齢者や子どもらが安全、迅速に避難できるのかなど、課題が多い。
・規制委は川内のほか11原発17基の安全審査を進めている。川内原発は九電が地震や津波を厳しめに想定し、規制委は優先的に審査してきた。
・手際の悪さや時間がかかりすぎた印象はぬぐえない。審査体制を見直し、規制委と原子力規制庁の役割分担を明確にし、審査官の増員考え、原発の安全性をないがしろにすることなく、審査を迅速化することはできるはずだ。
産経新聞 川内再稼働 早期実現でリスク減図れ
・九州電力川内原子力発電所1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)の安全性は、福島事故を教訓とした厳格な新規制基準を満たす水準に達していると原子力規制委員会によって判定された。
・国内の全原発48基の停止が続く状況下で、再稼働への扉が開かれようとしていることについては歓迎したい。だが、大規模停電が心配されるこの夏に再稼働が間に合わないのは重大な問題だ。
・自民党の国会議員の間でも規制委に対し、審査の迅速化を求める声が上がっている。原発停止で余分にかかる火力発電の燃料輸入代が年間3・6兆円に達している現状を考えれば、当然の要請だ。
・規制委の対応は、国力の低下や大規模停電の発生といった社会的リスクの増大は、一顧だに値しないとするかのような印象を与えている。国の行政機関がそれでは責任を果たせまい。
・今回の審査書案作成の経験を、後続する原発の審査加速に生かすべきだ。関西電力高浜3、4号機や四国電力伊方3号機などへの再稼働の連鎖を期待したい。
国も原発の必要性の説明に多くの汗を流すべきことは当然だ。
・一昨年九月の「革新的エネルギー・環境戦略」で、二〇三〇年代に原発をゼロにする方針を打ち出した。
・規制委の基準を満たす原発は、当面の稼働を認めるが、四十年で廃炉にする、新増設はしない。そうすれば最も新しい原発の寿命が尽きる二〇三〇年代に、原発は自然にゼロになる、という道筋だったはずである。
・規制委の審査には、四十年寿命、新増設はなし、という大前提があることを忘れてはならない。従って、新基準への適合とは、せいぜい、当面の稼働を認める仮免許といったところだろう。
・「二〇三〇年代原発ゼロ」は政権の独断というよりも、一定の民意を集めて成り立った。
・ところがその後、自民党政権は「二〇三〇年代原発ゼロ」を「具体的根拠が伴わない」とあっさり覆し、今年四月に閣議決定した国のエネルギー基本計画の中に将来的にも「重要なベースロード電源」とあらためて位置付けた。新増設も否定していない。
・規制委が昨年夏に定めた規制基準を「世界で最も厳しい水準」として、それを満たした原発を速やかに再稼働させる姿勢を明らかにした。
・新基準は欧州のように、メルトダウン(炉心溶融)に備えるより根本的な改善を要求するものではない。当面の対症療法を求めていると言ってよい。だからこそ、原発を持つ電力会社が比較的短期間で申請書類を整えることが可能になっている。
・活断層に厳しいと言われた委員を辞めさせて、原発関連企業から寄付や報酬を得ていたような人物に入れ替えた。規制委の生命線である信頼性が保てなくなる。
・隣県に原発のある滋賀県民は先日の知事選で、隣県の原発事故に影響される「被害地元」の住人として、「卒原発」の民意を突きつけた。
・福井地裁はこの五月、大飯原発の差し止めを命じる判決を出している。地裁の判断とはいえ、憲法の保障する人格権の見地から考察を加えている。規制委の審査とは違う視点もある。
・なし崩しの再稼働は、かえって国民の不信を深めるのではないだろうか。
・今後再稼働への動きが加速することになるが、忘れてならないのは、新基準は電力会社が取り組むべき最低限の安全基準であるという点だ。九州電力は合格に気を緩めず、住民の不安を払しょくできるよう丁寧な説明を尽くすとともに、さらなる安全性向上に努めなければならない。
・九州電力は昨年7月8日の新基準施行日に審査を申請した。審査の過程で、難関とされた耐震設計の基準となる地震の揺れ(基準地震動)や津波の大きさを大幅に見直したことなどが評価され、ほぼ同時期に始まった原発のなかで優先して審査が進められていた。
・ただ、多くの電力会社は新基準が求める事故解析や地震評価をせずに申請したり新たな課題への対応をメーカーなどに丸投げしたりするなど、福島の事故がどこまで教訓になったのかは不透明だ。
・一方の規制委は、付近に桜島などがある川内原発は全国で最も火山リスクが高いなどとの指摘が相次いだことから、国際原子力機関(IAEA)などの指針を基に火山影響評価ガイドを策定した。
・しかし、規制委は「危険性は十分小さい」と判断し、対策は「監視」止まりだった。川内原発の敷地には過去の巨大噴火で火砕流が及んだ可能性が高く、同様の事態が起これば防御はほぼ不可能とされる。国の原発規制基準は火砕流が直撃し得る場所での原発建設を禁じており、規制委が危険性をどこまで十分に審議したのか疑問が残る。
・新基準には新たな研究成果などを取り入れて、運転中の原発に対応を求める制度も導入された。規制委は今後も火山リスクなどの分析を進め、新たな知見が示された場合には重大な決断を下す覚悟が求められる。
・川内原発については、事故に備えた住民の避難体制づくりなどの課題も残る。審査に合格したとはいえ、再稼働の前にこうした問題の解決を優先すべきだ。
地域からの発信 集団的自衛権
7月1日、安倍内閣は臨時閣議で集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。
憲法9条に関する歴代内閣の解釈を本質的に転換したもので、立憲主義をも否定する暴挙といえる。
これに対して、200近い地方議会から反対を趣旨とする意見書が可決されている。東京でも、小金井市、国立市、西東京市、八王子市の各議会で反対の意見書を可決した。(6月末)
今回は、八王子市議会の意見書を紹介する。
また、一般社団法人八王子自治研究センターからも声明が出されたので掲載する。
八王子市議会
5月15日、安倍総理は、総理の私的諮問機関である、安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会からの答申を受け、これまで日本国憲法第9条の規定により、行使することが禁じられてきた集団的自衛権について、限定的にその権利を行使することを検討するという方針を表明した。さらに安倍総理は、与党内協議が整えば、閣議において集団的自衛権の行使を可能とするよう、憲法第9条の解釈変更を行う意向を示している。
我が国が独立国である以上、主権国家が持つ固有の権利である自衛権を有していることは言うまでもない。集団的自衛権は、個別的自衛権と同様に、国際法上、主権国家が等しく有する自衛権であり、我が国もその例外ではない。一方で、憲法第9条の下では、これら自衛権の行使を許容する範囲について、それは我が国を防衛するための必要最小限度の範囲内にとどまるべきものであり、他国に加えられた武力攻撃に対し実力をもってこれを阻止することを内容とする集団的自衛権は、許容し得る範囲を超えるものであって、個別的自衛権とは性質的に異なり、行使することは許されないと解されてきた。今回安倍総理が表明したように、集団的自衛権について、これを「限定的」であれ行使するという場合には、現在までの解釈を正面から否定し、覆すことになることは言うまでもない。
このような憲法解釈の変更が行われることになれば、憲法の法的安定性が大きく損なわれることになるだけでなく、立憲主義に基づく、国家権力の憲法による制限と、その合法性が形骸化する事態になりかねない。
よって、八王子市議会は、国会及び政府に対し、集団的自衛権行使容認のための憲法解釈変更に反対する。
以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。
平成26年6月24日
参議院議長
総務大臣 あて
一般社団法人八王子自治研究センターの声明
一般社団法人八王子自治研究センター
理事長 藤岡一昭
1
安倍内閣は7月1日の臨時閣議で、他国への攻撃に自衛隊が武力で反撃する集団的自衛権の行使容認と、それお合憲とする憲法解釈の変更を閣議決定しました。また、国連平和維持活動における自衛隊の武器使用拡大、自衛隊の後方支援について「非戦闘地域」に限るとしたこれまでの制約の撤廃なども決定しました。さらに、これらを可能にするための自衛隊法、武力攻撃事態法、国民保護法、その他関連法の改正を国会に提案するとしています。
本年5月15日、安倍首相は私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告を受けた記者会見で「限定的に集団的自衛権を行使することは許されるという考え方について研究を進め、憲法解釈の変更が必要であれば閣議決定する」と表明し、わずか1ヶ月半後の閣議決定となりました。
2
戦後歴代内閣は、集団的自衛権の行使は憲法9条のいかなる解釈をもってしても禁止されているとしてきました。言い換えれば、集団的自衛権の行使には、解釈ではなく憲法改正という国民参加の慎重な合意形成が必要である、という考え方でした。
憲法は国家の基本法であり、内閣はもちろん国会や司法もその枠組みの中で存在します。一内閣が、憲法の条文を変えずに、解釈によって「今までできなかったことをできるようにしてしまう」ということは許されるはずがありません。
この意味で、今回の閣議決定は事実上の解釈改憲であり立憲主義の否定です。
3
閣議決定の内容を読むと、さらに危険な論理が組み合わされています。
「日本はこれまで憲法の平和主義のもとで経済発展を成し遂げた。しかし安全保障環境は変化し、脅威は拡大している。もはや一国のみで平和は守れない。国民の生命、自由及び幸福追求権が覆される事態に、政府は国民の命を守る責任がある。そのために必要最小限の集団的自衛権行使は憲法上許される」というものです。つまり周辺状況が変化すれば、これまで憲法上禁止されていたことも許される、という危険な論理です。武力行使新三要件もこの考え方の上に成り立っています。
さらに閣議決定後の首相会見では、「現行の憲法解釈の基本的な考え方は変わらない」「(集団的自衛権行使と言っておきながら)海外派兵は一般に許されないという原則は変わらない」「今回の閣議決定で日本が戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなる」と真逆な説明がされました。
これに対して中国外務省は「安倍内閣は戦後の平和の歩みを大きく変えようとしている」とし、国営中央テレビでは「軍国主義に突き進む」と報道されました。韓国外務省は「平和憲法に従った防衛政策の重大な変更と見て鋭意、注視する」としています。
4
一方、6月末までに八王子市議会も含め地方192議会で集団的自衛権行使容認に反対、ないし慎重な対応を求める意見書が可決されました。
また多くの自治体首長も懸念を表明し、違憲訴訟を準備する動きもあります。
八王子自治研究センターは地方自治と住民福祉、自立した地域社会をめざしこれまで活動してきました。平和な社会と民主主義がなければ地方自治は成立しません。その基本は平和憲法と立憲主義です。
この立場から、今回の安倍内閣による憲法解釈の変更と集団的自衛権の行使を容認する閣議決定については、到底容認できるものではなく強く反対します。
また今後予測される関連法に関する国会審議について、立憲主義の立場で解釈改憲の違憲性を追及するとともに、司法においても違憲審査権の行使を要望します。
富岡製糸場世界遺産登録、6月23日に思う
6月21日(土)、カタールのドーハで開催中のユネスコ世界遺産委員会は「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界文化遺産登録を決定した。昨年の「富士山」に続く世界文化遺産登録で、産業施設としては初めてということだ。
確かに世界遺産というお墨付きで、「富岡製糸場の歴史的な価値が国際的に認められた」という意義は大きい。
しかしその歴史的な価値の意味については、国際的にも説明できる客観的な認識を次世代に継承していく責任がある。
ところで翌日曜日のあるテレビ番組で、政治学者の姜尚中氏が集団的自衛権を巡る安倍内閣の危険な動向や若年層の右傾化などに触れ、「…最近の世相についてイデオロギーや政治的な対立というより、世代間の考え方の開きを感じる。この原因として、歴史の次世代への継承を怠ってきたという日本社会の問題があるのではないか…」といった主旨の話があった。
政府が4月28日を主権回復の日として説明すると違和感なく受け入れたり、在日朝鮮人の人々を移民と思ったり、伊藤博文を暗殺した安重根をやくざかテロリストの殺人犯としか理解しなかったり…こうしたことが重なると、世代間の歴史認識も180度違う分裂国家になりかねない。
話を戻して―、富岡製糸場は明治政府の国策官営製糸場として1872年に操業を開始した。1868年の明治維新からわずか4年後である。紡績業・製糸業を中心とした日本の軽工業部門の産業革命のさきがけともなった訳だが、この背景には開国後の植民地化を避け、欧米列強と対等な国力を持とうとする明治政府の脱亜入欧政策が基軸に据えられていたことは言うまでもない。
殖産興業にはじまり、徴兵令を公布し、近代的な軍隊を創設する富国強兵策のもとで、朝鮮半島や政治的に混乱する中国大陸への侵略を試みる。1894年日清戦争、10年後の1904年日露戦争と続き、いくつかの偶然も重なり軍事的に勝利を収める。それ以降のアジア外交は、都合よく交渉がまとまらなければ軍事力で解決するという手法の戦争政策が1945年まで続くことになる。
世界遺産となる富岡製糸場は、こうした歴史の扉口にあった。このことを次世代にしっかり伝えていくことも、歴史遺産としての価値の意味に通じることなのではないだろうか。そしてむしろ、こうした歴史の流れは国際社会の方が、理解が早いかもしれない。残念だが。
過去の歴史を次世代に継承する責任とともに、次世代に何を残すべきかも考えたい。
このことについて、立教大学の内山節教授が6月22日の東京新聞朝刊のコラム「時代を読む」欄に、現代社会の劣化という切り口から提言している。概要を紹介する。
「…ある自治体の5年ごとの基本計画の策定に関わった際、他の自治体の基本計画を見ると、どこも同じ内容になっていた。そこで5年計画を100年計画に変えてみる。しかし、100年後の社会の姿が分からないため何かをつくる計画は立てようがなく、逆に100年後に何を残す計画が重要であることに気がついた。社会がどんなに変わってもこれだけは残しておかなければいけない、という考え方が大切である。そうした時間の幅を持って今日の政治や経済を見ると、目先の利益ばかりで100年後に人々が平和を享受できるようにするにはどうしたらいいのか、といった発想はどこにもない。集団的自衛権の強行、100年後にも通用する憲法の役割を考えるのではなく解釈の変更だけで憲法を変えようとするやり方、成長戦略と称して原発の再稼働や輸出、武器輸出を進め、観光客を呼び込むためにカジノを建設し、法人税減税などを進めている。…」
100年後何を残すべきか。難しい、そして困難なことかも知れない。
しかし最近、一つ見つけたような気がする。それは5月21日に示された大飯原発運転差し止め訴訟の福井地裁判決である。この判決文は100年後に何を残すべきかという重たい課題に正面から立ち向かう、教科書的な意義があるように思う。
判決文は、
「…国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に関わる安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るということにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない」
「…極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等を並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考える」
「…コストの問題に関連して国富の流失や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流失や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている」
「…(CO2削減といった)環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることははなはだしい筋違いである」とし、判決主文で「原子炉を運転してはならない」としている。
100年後に何を残すべきか。なんと明解で分かりやすく、そして確信をもって伝え得る判決文ではないだろうか。
このコラムを書いているのは6月23日である。
いうまでもなく1945年6月23日は、沖縄地上戦が終結したその日である。ウチナーンチュがヤマトンチュウの捨て石になってすでに69年が過ぎた。この歴史も次世代にしっかり伝えるとともに、沖縄に残すべきは基地ではなく平和であることも次世代に約束しなければならないだろう。
5月16日、東京主要6紙朝刊の1面タイトルと社説の要旨。
5月15日、首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は、憲法解釈による集団的自衛権行使容認を基本とする報告書を安倍首相に提出した。これを受けて安倍首相は、現行憲法で集団的自衛権は行使できないとする憲法解釈の検討(見直し)を表明した。そして年内には憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認を閣議決定すると報道されている。
こうなれば憲法9条は死文化し、憲法のもとで政権が存立する立憲主義も事実上否定されることになる。自民党・安倍政権による憲法否定の無血クーデターと言えるかも知れない。恐ろしい政治状況である。
それに加え背筋が寒くなるのは、安保法制懇の報告と首相の会見が5月15日だということだ。この日は、42年前の1972年5月15日沖縄の施政権が返還された日、つまり本土復帰の日である。沖縄にとって本土復帰とは、米軍統治から日本国憲法のもとで平和と人権が守られることを意味した。しかしそれは裏切られた。その後の42年間、日米安保と米軍基地負担を押し付けられ、さらに今また辺野古に巨大な米軍基地が建設されようとしているのが沖縄の現実である。
そもそも安保法制懇は本年2月以降開催されていない。つまり報告と首相会見はいつでもできる状態だったのである。それをあえて5月15日としたことは、沖縄にとって、もっと過酷な状況が押し付けられる、あるいは標的にされるということを意味する。
しかし東京の主要6紙(朝日、読売、毎日、日経、産経、東京の各紙)でこうした観点からの記事は見当たらなかった。かろうじて東京新聞が沖縄平和運動センターのインタビュー記事を載せた程度である。こうして戦争ができる翼賛体制が築かれていくのかもしれない。
とは言うものの、立憲主義を押しつぶしてまでも前のめりで集団的自衛権行使に突き進む安倍政権に、危機感を持つ人々も多いはずである。そこで15日の報告と会見を受けた主要6紙の社説を読んでみた。社説はその新聞の基本思想だが、大きく隔たりのあるところに注目したい。
【朝日新聞】
1面見出し「専守防衛、大きく転換」
社説見出し「集団的自衛権 戦争に必要最小限はない」
社説要旨
・歴代内閣は、集団的自衛権の行使を認めるには憲法改正の手続きが必要との見解を 示してきた。
・安倍首相はこれを与党間協議と閣議決定で済まそうとしている。これは立憲主義からの逸脱である。
・集団的自衛権の行使は、どの様な前提や条件を付けても、日本が攻撃されたわけでもないのに自衛隊が武力行使する、つまり参戦することを意味し、日本の平和主義を根本的に変えるものである。
・集団的自衛権は行使するかどうかの問題で、必要最小限といった量的な問題ではな い。
・行使すればその時点で日本は相手国の敵国になる。
・解釈変更は内閣が憲法を支配するといういびつな統治構造を許すことになる。
・国民主権や基本的人権の尊重といった基本原理も政権の意向で左右されかねない。法治国家の看板を下ろさなければならなくなる。
・近隣諸国との関係改善を置き去りにした解釈改憲の強行は東アジアの緊張をさらに高める。
・懇談会の集団安全保障も認めるとの報告に対しては、「政府の憲法解釈とは整合しない」と言い、集団的自衛権は整合するというのはごまかしの論理。
・PKOやグレーゾーンにも触れているが、これらは一つ一つ丁寧に対応すべき。憲法9条の縛りは大切でこれを取り払うことが「戦後レジームからの脱却」とするならば看過できない。
【読売新聞】
社説見出し「集団的自衛権 日本存立へ行使「限定容認」せよ グレーゾーン自体法制も重要だ」
社説要旨
・報告書は日本の安全保障政策を大幅に強化しさまざまな緊急事態に備える上で歴史的な提言である。
・安倍首相は集団的自衛権を行使する政府の憲法解釈の変更を表明したがそれを支持したい。
・報告書は北朝鮮の核や中国の脅威に個別的自衛権だけでは限界があり、事例を挙げて集団的自衛権を行使の必要性を強調している。こうしたことに対処できなければ、日米同盟や国際協調は成り立たない。
・報告書は集団的自衛権の行使と限定容認論を併記し、集団安全保障への参加も可能としている。
・これに対して安倍首相は集団的自衛権の前面行使や集団安全保障は従来の憲法解釈と論理的に整合しないとし、限定容認論に基づき与党協議を進める方針を示した。公明党に配慮した政治的判断として評価する。
・従来の憲法解釈との整合を図り、幅広い与野党、国民の合意を形成するために限定容認論が現実的である。
・立憲主義の否定との批判があるが、内閣の持つ憲法の公権的解釈権に基づき、丁寧な手続きを踏み合理的な範囲で解釈変更することは問題ない。
・解釈変更は行使を可能にしておくことで日米同盟を強化し、抑止力を高めて、紛争を未然に防止することに主眼がある。
・グレーゾーン事態はいつ発生してもおかしくない。切れ目の無い対応として法整備の議論を深めるべき。
【毎日新聞】
1面見出し「集団的自衛権容認を指示、首相解釈変更に意欲」
社説要旨
・安部政権は憲法9条の解釈を変えて集団的自衛権行使を可能にし、他国を守るために自衛隊が海外で武力行使できる国に変えようとしている。
・根拠は首相の私的懇談会「安保法制懇」報告で、全員が行使容認派、憲法学者は1名だけで結論ありきといえる。
・歴代政府は憲法9条について、「戦争放棄や戦力不保持を定めているが自衛権までは否定していない。しかし自衛権行使は必要最小限度にとどめるべきで、他国への武力攻撃に反撃する集団的自衛権の行使は憲法上許されない」としてきた。報告書はこの解釈を180度変えるものである。
・報告の根拠は、憲法9条の政府解釈は戦後一貫したものではなく、憲法制定当事は個別的自衛権の行使さえ否定していたが、自衛隊が創設された年に認める解釈に変更したことを上げている。戦後の憲法解釈が定まっていない時期に変更したからといって、歴代政府が30年以上積み上げてきた解釈を変えていいということにはならない。立憲主義にも反する。
・それでも変えるとするならば憲法改正手続きで国民に問うのが筋だ。
・また、何のために行使するのかも明確ではない。報告書は中国や北朝鮮の脅威を強調しているが、憲法の平和主義が果たしてきた役割への言及は極端に少なく、憲法を守れば国が滅びるかのように脅している。
・具体的な事例も個別的自衛権で対処できるとする指摘が多い。
・PKOへの駆けつけ警護も事例に挙げているが、これは集団的自衛権の問題ではなくPKO活動での武器使用の問題である。
・報告書や首相会見で言われている「限定容認論」も最終的には政府判断となり、実質は前面容認と変わらない。
・自衛の名のもとに侵略戦争が行われてきたことを歴史は教えている。集団的自衛権が戦争への道を開く面があることを忘れてはならない。
・日本の安全や国益に必要なことは何か、現実を踏まえて冷静な議論を求める。
【日経新聞】
1面見出し「首相、『憲法解釈の変更検討』」
社説見出し「憲法解釈の変更へ丁寧な説明を」
社説要旨
・安倍首相が集団的自衛権の行使を可能にする方向で検討を進めるとしたことは日本の安保政策の重大転換だ。幅広い国民の理解が得られるよう丁寧な説明、粘り強い対話を求めたい。
・根拠となる報告書は中国、北朝鮮の脅威を例示し、冷戦期の米国の庇護に期待する対応は時代遅れと指摘している。
・日本も汗を流しアジア、世界の安定に貢献し、日米同盟の絆を強める努力が必要。
【東京新聞】
1面見出し「『戦地に国民』へ道」
社説見出し「行使ありきの危うさ 『集団的自衛権』報告書」
社説要旨
・「出来レース」の報告書を「錦の御旗」に、集団的自衛権の行使容認に踏み切ることは許されない。
・これまで政府は、集団的自衛権について国際法上の権利は有しているが、憲法9条で行使は認められないという立場を堅持してきた。
・国連憲章で認められた集団的自衛権は、歴史的にみると大国による軍事介入の際に行使されてきた。
・中国や北朝鮮が脅威だとしても外交力で解決すべき。
・歴代内閣の憲法解釈を一内閣の判断で変えることはいいはずがない。憲法改正をするのが筋。
・安保法制懇のメンバーは、最高法規としての憲法に対する畏敬の念に欠け、安倍首相の同調者ばかりである。
・安倍首相があげた事例は、現行憲法の枠内でも可能。
・カギを握るのは公明党。
【産経新聞】
1面見出し「首相、行使容認へ強い決意」
社説見出し「集団自衛権報告書 『異質の国』脱却の一歩だ 行使容認なくして国民守れぬ」
社説要旨
・日本の平和と安全を守るための当然の政治的判断がされようとしていることを高く評価したい。
・厳しさを増す安全保障関係の中で日米同盟の信頼性を高め、抑止力を強化する必要がある。中国の力による現状変更は認められない。
・冷戦が終わり、米国に一方的庇護を求めるわけにはいかない。
・集団的自衛権の行使を認めることで抑止力が増し戦争を未然に防ぐことができる。
・過去にも憲法解釈の変更はあった。
・危機を直視せず、不備を放置すれば[憲法解釈守って国滅ぶ]ことになりかねない。
・グレーゾーン対応や駆け付け警備の法整備を急ぐべき。
・多国籍軍への自衛隊参加を海外での武力行使として従来の解釈に立った首相には疑問がある。自衛隊活動への制約を解き、積極的平和主義の現実的対応を求めたい。
拡大する自治体の臨時・非常勤職員、雇用のブラック化
1.総務省・地方公務員の臨時・非常勤職員について(過去3回実施、2005,2008,2012)の調査結果
【調査時点】 2012年4月1日現在
【調査対象】 任用期間6カ月以上、かつ勤務時間19時間25分/週以上
【結果概要】 特別職非常勤(地方公務員法3条3項3号)…231,209人(63.4%)
一般職非常勤職員(同法17条) …127,390人(80.7%)
臨時的任用職員(同法22条2項・5項) …244,983人(81.0%)
合計603,582人(74.2%)
( )内は女性の比率
【過去3回の合計人数】
2005年…455,840人
2008年…499,302人(3年間で43,462人増、年平均・約15,000人)
2012年…603,582人(4年間で103,742人増、年平均・約26000人)
しかし、総務省の調査対象は任用期間6カ月以上かつ勤務時間19時間25分/週
以上であり、2ヵ月ないし3ヵ月雇止めで、実態的に継続する臨時職員はは
じかれている。
3.賃金格差の実態…年収ベースで正規職員の1/3以下
総務省給与実態調査(2012年4月1日)
正規職員平均給与年収 6,243,437円
非正規職員 同 1,411,072円~2,117,570円
4.総務省統計局の労働力調査(臨時・非常勤職員調査の年に対応して)
|
非正規・男 |
非正規・女 |
非正規の女性の割合 |
|||
2005年 |
3375 |
1634 |
507 |
1126 |
68.9% |
4.4% |
2008年 |
3410 |
1765 |
560 |
1205 |
68.2% |
4.0% |
2012年 |
3340 |
1813 |
566 |
1247 |
68.7% |
4.3% |
非正規雇用は男女とも毎年増え続けている。
正規雇用が35万人減り、非正規雇用が179万人増えることで見せかけの失業率
は「改善」されるが、雇用のブラック化が拡大している。
5.自治体定数削減の置き換わりが進行している。(東京都区市町村)
市区町村で正規職員から非正規職員への置き換わりが進んでいる。
|
非正規雇用 |
人口 (2010年国勢調査) |
||
2002年 |
2012年 |
|||
千代田区 |
1296 |
1030 |
239 |
47115 |
1745 |
1440 |
471 |
122762 |
|
港区 |
2548 |
2104 |
191 |
205131 |
新宿区 |
3193 |
2717 |
679 |
326309 |
文京区 |
2134 |
1777 |
817 |
206626 |
1838 |
1663 |
425 |
175928 |
|
2467 |
1972 |
733 |
247606 |
|
3352 |
2791 |
492 |
460819 |
|
3071 |
2595 |
469 |
365302 |
|
目黒区 |
2704 |
2149 |
704 |
268330 |
5823 |
4469 |
999 |
693373 |
|
世田谷区 |
5972 |
5083 |
2773 |
877138 |
渋谷区 |
2613 |
1919 |
204 |
204492 |
中野区 |
3068 |
2165 |
119 |
314750 |
杉並区 |
4476 |
3622 |
1370 |
549569 |
豊島区 |
2755 |
1991 |
802 |
284678 |
北区 |
3007 |
2456 |
1022 |
335544 |
1861 |
1573 |
796 |
203296 |
|
4367 |
3588 |
1041 |
535824 |
|
5695 |
4582 |
1627 |
716124 |
|
足立区 |
4489 |
3546 |
1466 |
683426 |
葛飾区 |
3847 |
2985 |
1674 |
442586 |
4847 |
3742 |
1484 |
678967 |
|
区部計 |
77168 |
61960 |
20597 |
8945695 |
八王子市 |
3486 |
2825 |
512 |
580053 |
1371 |
1151 |
542 |
179668 |
|
1164 |
962 |
445 |
138734 |
|
三鷹市、 |
1190 |
1018 |
369 |
186083 |
1503 |
1463 |
355 |
139339 |
|
1408 |
1257 |
655 |
255506 |
|
847 |
673 |
224 |
112297 |
|
1368 |
1261 |
715 |
223593 |
|
町田市 |
2942 |
2823 |
1232 |
426987 |
820 |
701 |
279 |
118852 |
|
1012 |
921 |
369 |
187035 |
|
日野市 |
1508 |
1312 |
618 |
180052 |
978 |
790 |
361 |
153557 |
|
868 |
682 |
408 |
120650 |
|
492 |
433 |
396 |
75510 |
|
440 |
374 |
99 |
59796 |
|
狛江市 |
597 |
458 |
230 |
78751 |
550 |
456 |
397 |
83068 |
|
589 |
426 |
311 |
74104 |
|
919 |
612 |
448 |
116546 |
|
501 |
378 |
165 |
70053 |
|
多摩市 |
954 |
824 |
508 |
147648 |
859 |
813 |
339 |
84835 |
|
409 |
355 |
258 |
57032 |
|
567 |
431 |
280 |
80868 |
|
1317 |
1028 |
690 |
196511 |
|
244 |
215 |
167 |
33,497 |
|
204 |
154 |
30 |
16,650 |
|
65 |
56 |
0 |
2,558 |
|
150 |
128 |
48 |
6,045 |
|
多摩地域計 |
29352 |
24980 |
11450 |
4,185,878 |
|
非正規雇用 |
人口 (2010年国勢調査) |
||
2002年 |
2012年 |
|||
220 |
186 |
19 |
8,461 |
|
27 |
26 |
5 |
341 |
|
121 |
120 |
15 |
2,883 |
|
81 |
76 |
7 |
1,889 |
|
132 |
121 |
30 |
2,676 |
|
27 |
26 |
1 |
348 |
|
248 |
241 |
2 |
8,231 |
|
34 |
24 |
0 |
201 |
|
92 |
118 |
29 |
2,785 |
|
島嶼部計 |
982 |
938 |
108 |
27815 |
ごうるでんウィーク
今年のごうるでんウィークはいつから始まるのだろうか。
連合はかなり前からごうるでんウィークの初日にメーデーを開催しているので、それからすると4月26日から始まったことになる。今日で3日目だが、私も含めて周りの人々は休まず出勤しているようだ。
ところで今年の中央メーデーには安倍首相が招待されあいさつしたそうである。メーデーは連合の主張や政策を発信する大きな機会でもあるから、内容はともかく、首相が来てあいさつするということだけでそれなりの意義があるのだろう。
しかしアベノミクス第三の矢は、企業に対して弱い立場の労働者の権利を次々に奪おうとしている。残業代ゼロや労働者派遣の無期限受け入れなどやりたい放題の感がある。
社会の中で、企業経営者に比べて圧倒的多数の労働者の働き方が劣化すれば、社会そのものが腐ってくる。企業収益が上がって大企業の正社員は多少賃金が上昇しても、増え続ける非正規労働者やシングルマザー、シングルファーザーで働くような若者たちの生活はむしろ貧困化している。完全失業率は改善されているというが、正規雇用が減りそれ以上に非正規雇用が増えているから失業率だけ下がるという、実は悲しい物語がここ数年続いているのである。
ここを何とかしなければ連合の存在意義が問われてくる。
経営サイドの日本経済新聞でさえ、メーデーに政権与党を呼ぶのもいいが肝心なのは連合自身の行動(「連合の行動力が問われる」4月24日付社説)、と書いている。
ところで今日は4月28日。安倍首相に聞きたい。今年は「主権回復の日の祝賀会」はやらないのですかと。
1952年4月28日サンフランシスコ講和条約が発効して62年が過ぎた。この条約が「主権回復の日」の根拠だが、一方では沖縄をはじめ南方諸島を切り捨てた日でもある。沖縄は本土防衛のため地上戦を強いられ、サンフランシスコ条約で切り捨てられ、復帰後現在に至っても米軍基地に苦しめられている。その象徴が4月28日であり、沖縄にとっては屈辱の日である。(4月27日沖縄タイムス社説、4月28日琉球新報社説)
「4・28主権回復の日」が、たちの悪いブラックジョークだと気がついて今年の「祝賀会」を止めた訳ではない。むしろ集団的自衛権の行使容認や専守防衛を否定する「積極的平和主義」、民意を無視した辺野古新基地建設などの動きをみると、「沖縄に米軍基地があって良かった」と言い出しかねないのではないだろうか。
ごうるでんウィークという響きに、明るい未来を感じる人々がどんどん少なくなっている日本社会について、危機感を共有したいと考える人々も少なからず存在する。しかし、その軸がない。軸が現れるまで、現実社会を正確にウォッチングし、発信し続けることが研究員の役割りということだろうか。